再起の誓い〜半部捨テルということ〜

 

ここ最近仲良くしている人たちは、仲間を呼ぶときに、それぞれの呼び方をしている。

 

それは、その人の指針や、方向性、キャラだったり、影響を受けたものの違いなのかもしれない。

 

俺が船長と呼び慕う人は「仲間」と俺らのことを呼ぶ。

 

また、最近特に一緒に行動することが多い友も「盟友」と呼ぶ。

 

ここのくくりなんて、本当に人それぞれなので、自分の中で最高に位置する呼び方を使えばいい。

 

 

ところが、俺は何となくで「仲間」と呼んでいた。

 

きっと彼らの呼ぶ時の「仲間」や「盟友」への想いとは全然違っていて、何となくでしかなかった。

 

その熱意や、一種の押しつけにも似たような心地よさを、俺は知らなかった。

 

上で書いた船長の言う「仲間」とは似て非なるものだ。

 

言葉には魂が宿る。

 

 

今年が始まって、半年。

 

令和が始まって一ヶ月半。

 

俺は一体何をしてきたのだろう。

 

ついこの前まで、俺は宙ぶらりんで、からっぽだった。

 

自分の未来も、不確かで、それをたぐり寄せる術を探していた。

 

それがずっと自分のやりたいことを霞ませていた。

 

「何がやりたいのか探す」

 

それは都合のいい言い訳のようで、俺は自分を追い込んでいた。

 

そんな2019年が過ぎた。

 

 

もっと卑しい言葉で取り繕うと、俺は他人任せだった。

 

「何がやりたいのか探してる」

 

そう言う度に誰かの答えを待っていた。

 

そんな考えだったから、俺には何もなかった。

 

いろんなことを必死で考えた、考えたふりだった。

 

結局は未来なんて見てなくて、仲間の語る夢に難癖をつけたり、背中を押しただけ。

 

 

俺にはやりたいことが分からなかった。

 

子供の頃から何かをしようとする度に親に止められた。

 

それは親にとっての優しさで、無知な俺に現実を教えたかっただけかもしれない。

 

だが、それは俺の命を強く守ってくれると同時に、俺を夢から大きく遠ざけた。

 

でもそれが事実でも親のせいにしても何も変わらない。

 

親の呪縛から解き放たれるのは、今しかない。

 

 

先日、仲間に連れて行ってもらったライブで、仲間の同級生を含む三組のミュージシャンの演奏を観て、聴いた。

 

俺も元々音楽をやっていたからってのもあって、そういうイベントはずっとすごくひねくれた目で見ていた。

 

何でかって、音楽を楽しそうに演奏するとか、音楽について話す人が妬ましかったから、だと思う。

 

俺は5年前に、自分の音楽を作ることを辞めていたから。

 

でも、その5年前に考えていたことを、ふと思い出した。

 

なぜ、「自分の音楽を手放したか」ということで言えば、一度切り離すことによって、

自分に新しいものを取り込みたかった。

 

俺は自分の音楽のために音楽を、自分を作り上げてきたものを半分捨てた。

 

その選択自体は間違っていないと、今も思う。

 

 

ただ、そこからの選択は、きっと間違っていた。

 

俺は半分捨てたつもりだったものを、9割くらい捨てていた。

 

音楽をやっている人をどこかで笑っていた。

 

その結果、取り戻すつもりだったものを忘れていたんだ。

 

頭の奥のもっと奥の方に「音楽でなんか成功できるわけがない」という、小さな概念が芽を出していた。

 

 

人は、生まれながらに「できない」と決まっているわけじゃない。

 

自分が生きてくる中で、限界を決めたり、折り合いをつけているだけだ。

 

こと、音楽に関しては、俺も完全にそう思っていた。

 

音楽をやった期間が長いのに、結果が出なかったのは自分のやり方のミスを認めなかっただけだ。(一度それなりに結果は出たけど、サポートだったから自分の音楽じゃない)

 

先日の三組のライブを直接感じて、俺は自分の決めていた限界に、疑問を抱き始めた。

 

俺は、音楽が好きだ。

 

その気持ちを誤魔化して生きてきた。

 

音楽はもうやらない、なんて思っていた。

 

音楽は俺がやっちゃいけないことだと思っていた。

 

そんなところに仲間という名の大砲が風穴を開けてくれたわけだ。

 

今まで心を侵食していた、とんでもなく分厚く、とんでもない闇を吹き飛ばしてくれた。

 

見えていなかっただけ、ずっと近くにあったんだ。

 

ずっと音楽は俺のそばにいてくれたんだ。

 

 

今、闇に光が差し込んでいる。

 

そして、そこに浮かぶ二つのシルエット。

 

その背中は何よりも頼もしい。

 

仲間にもらった再起の力。

 

再起の誓いをここに立てる。

 

もう道をぶらさない。

 

仲間が指針になってくれる。

 

まるで宝の地図だな。

 

ありがとう、改めて素敵な仲間だと感じている。

 

俺もそういうので冒頭に書いたような、仲間の呼び方を考えようかな。

 

 

シャンプーオタクが石鹸シャンプーを使ってみた

 

アレッポの石鹸。

 

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結構どこでも売ってるから、見たことある人も多いと思う。

 

これを俺が人にオススメする時、ニオイについて必ず言及するようにしている。

 

そう。

 

このアレッポの石鹸。

 

めっちゃクサい。

 

ネットなんかで調べると、ローレルの香りがどうとか、粘土がどうって多く見るけど俺からしたら圧倒的に粘土の極み。

 

そうとしか言いようがない。

 

しかも、触れた手を嗅ぐと

 

家畜のニオイがする。

 

一応、3種類全て使ったことのある俺が、もっと簡単に書いてみようと思った。

 

ググったら出てくるような記事かもだけど、たぶん他にこんな記事を書いてる人より

 

圧倒的にいろんなシャンプーを試してるのは俺のはず。

 

だからうんちくも交えながら書くね。

 

 

今回のテーマにしたアレッポの石鹸を簡単に言うと、

自然派思考の人が好きな「不純物が入ってない」石鹸。

 

外国のそんな感じのところで作られてる。アラブ?シリア?とかかな。

 

 

で、ここからが面白くて

 

普段、俺らが何気なく使ってるシャンプーとかって、

 

ツヤツヤになる!

とか

指ざわり滑らか!

とか

頭皮環境がよくなる!

とか

 

宣伝効果に踊らされちゃってるんだけど、実は身体にとってはあんまりよくなくて。

 

めっちゃ簡単に説明すると、レヴ○ルっていうシャンプーが流行った時に

 

ノンシリコンなのはいいこと!

 

みたいな宣伝に釣られてた人が多かったのね。(恥ずかしながら当時の俺も。)

 

だから、ノンシリコンなのはいいことだーって思ってる人が多かった。

 

たぶん今もそれがいいからって使い続けてる人もいるんじゃないかな?

 

でもちょっと待った。

 

それ、本当に身体とか髪にいいものなのか?

 

会ったこともない人が考えたキャッチコピーとか、売り文句に騙されてないか?

 

ってある時思っちゃったわけ。

 

もちろんいいものもあると思うし、そういうサイトもあるからシャンプーを買うときの目安にしてほしい。

 

で、俺ってこんな見た目じゃん?

 

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これはさすがに、キラキラしすぎだけど。

 

ひとつだけ、絶対に貫き通さなきゃいけないことがあって。

 

禿げない。ハゲになりたくない。

 

そういうこと。

 

このルックスで禿げてるの嫌じゃん。

 

それだと、ただのカッパじゃん。

 

だからシャンプーには結構、若い時から気をつけてるんだ。

 

最初に言うと、メ○ットはやめた方がいいよ。

 

調べたら分かるけど、結構な粗悪品でデメリットしかない。

 

弱酸性がよくないとこを助長してる。

 

 

あと使わないようにしてるのはパン○ーン。

 

ニオイもいいし、髪がツヤツヤになる。

 

でも、これも待った。

 

ジメチコンっていう成分が多めに入ってるんだけど、これ結構強いコーティング剤なんだよね。

 

その分毛穴までコーティングされちゃう。

 

だからすすぎ残しをしちゃうと、頭皮のトラブルになりやすいんだ。

 

俺も常に綺麗にすすげてるか自信がないから、毛穴を詰まらせる原因になるのは使わないようにしてる。

 

でも実家のは、パ○テーンなんだよねえ。

 

ちなみに食品とかもそうなんだろうけど、成分表記に書いてあるのは、入ってる量の順番にしなくちゃいけない法律があるらしいから

 

上の方に身体によくないものがきてるシャンプーとかもあるから、気にして見てみてね。

 

個人的に市販のシャンプーはどれも変わらないと思うんだけど、高いシャンプーって本当に高いから安くすませたい…。

 

でも、毎日使うものだから、いいものを使ったほうがいい、ってのはある。

 

俺の本当に個人的な意見なんだけど、ジュレームなんかは結構シリーズを通して使いやすかったかな。

 

嵐好きな人にもたまらないよね。

 

あと、ど定番だけど、BOTANIST。

 

リピートした数で言えば圧倒的にBOTANISTだった。

 

手触りも、洗い上がりもさっぱり感があって、しっとりしすぎないところが心地よかった。

 

 

さて、ここからアレッポの石鹸について話していこう。

 

結構、俺はシャンプーを買う時に成分表示とかも気にするんだけど、アレッポの石鹸はそんなの関係ない。

 

だって、原材料が「オリーブオイル」と「ローレルオイル」だけなんだもん。

 

めんどくさがりの俺にピッタリ。

 

そこに苛性ソーダってのが入ってるんだけど、これは調べてみたら水酸化ナトリウムだったよ。

 

勝手なイメージで、固めるためって思ってる。笑

固まるのか知らないけどね。

 

上でも書いたように、余計なものを入れてないから、もちろんデメリットも出てくるわけだ。

 

ここでの大きなデメリットは

 

  1. 泡立ちにくい
  2. 溶けやすい

 

の2つだ。

 

1は結構大きな課題なんだけど、普段みんなが使ってるシャンプーに、どれだけ泡立ちやすくするための薬剤が使われてるのか…って思ったら怖いよね。

 

対処法としては、100均なんかにもある泡だてネットを使うこと。

 

これで俺らは、翼を授かった牛のようだ。(レッドブル)

ドラえもんが我が家にやってきたのび太のような強さを得たね。

 

これは後述する3種類のアレッポによって少し変わるけど、基本的には泡だてネットでOK。

 

2つ目については、なるべく換気しやすいところで保管すれば大丈夫。

 

家族が多いとかだと、風呂に入る人の数も多くなるから、そうなるともうデロンデロンになっちゃう。

 

いいかい、本当に溶けるんだぜ。

 

市販の石鹸とかと同じに考えてたら大火傷するぜ?

 

ということは、市販の石鹸にも凝固剤のようなものが使われている可能性があるってことだよね。

 

つまり、アレッポの石鹸とは、余計なものを全部そぎ落としてる自然派石鹸なわけ。

 

そして、このアレッポの石鹸。

 

実は3種類あるんだ。

 

ライト、ノーマル、エクストラ40の3つね。

 

これは原材料の配合率が違っていて、

 

ライト(オリーブオイル98%:ローレルオイル2%)

 

ノーマル(オリーブオイル90%:ローレルオイル10%)

 

エクストラ(オリーブオイル60%:ローレルオイル40%)

 

という感じ。

 

この配合率が個人差を生むんだけど、金額もエクストラになるにつれて高くなる。

 

ライトは500円だけど、エクストラは1000円くらい。

 

まあそれでも安いんだけどね。

 

ちなみに、どのタイプでも用途はいろいろ。

 

シャンプー、体洗い、洗顔、皿洗い、歯磨き。

 

まさにこれ一個あるだけで、何でもこなせる。

 

ちなみに歯磨きに使った時は粘土の味が口に広がって最悪だったから、もう使わない。

 

中でも特にオススメしたいのは、洗顔

 

ちゃんと泡だてて使えば、もっちり感がすごい。

 

顔じゃなくても、たまに皮膚をかきむしったり、乾燥なんかで切れてたりするところとか、ガサガサするところが

 

翌日には潤ってる!!!

 

洗顔とか、デリケートなところはマジでオススメ。

 

でもね、今回はシャンプーの記事なんだ。

 

洗顔使用時の熱い思いはここまでにしておくね。

 

 

シャンプーの使用において、一番オススメできないのはライト。

 

これは断言できる。

 

上で書いた洗顔で使うならどれでも大丈夫。

 

ライトって泡立ちが良くないし、泡立っても、なぜかすぐ泡が消える。

 

シャンプーってどちらかというと、泡で汚れを包み込みたいから、泡がないのは実に悲しいよ。

 

洗ったという満足感も、洗えたという達成感もないから、シャンプーはノーマルかエクストラに絞るわけだ。

 

そして、ここは個人差があるんだけど、泡の感じは圧倒的にいいんだけど、エクストラがね…

 

ちょっと抜け毛が多く感じたんだ。

 

いや、もちろん個人差があるとは思うんだよ。

 

でも俺の場合は、抜け毛が多くて悲しくなったね。

 

でも洗い上がりのさっぱり感と、しっとり感の共存はエクストラが至高だと思うんだ。

 

いつか肌質が変わったら、また挑戦してみようと思う。

 

 

さて、メリットばかりを書いてしまったけど(違ったかな?)、実はこの石鹸シャンプー。

 

大きな落とし穴がある。

 

髪の毛が扱いにくくなるんだ。

 

これって髪の毛で遊びたい人とか、もう致命的だよね。

 

何でか説明すると、石鹸シャンプーってもの自体が、髪の毛が思いっきりアルカリ性に傾くから、バッサバサになってしまうということ。

 

ここに関しては、実は簡単な対処の仕方はあって、ドラえもんにポケットから出してもらったんだ。

 

それはね。

 

 

 

 

 

 

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これだね。

 

ミツカン

 

酢。

 

ググれば、「リン酢」とか、「酢リンス」って名前でも出てくる。

 

単純に水に溶かして、リンスの代わりに使うだけ。

 

2〜3分置いたほうがいいらしいよ。

 

酢はめちゃくちゃ酸性だから、アルカリに傾いてた髪の毛を調整してくれるってわけ。

 

これはクエン酸でもいいらしいけどね。

 

この酢は100円くらいで手に入るし、全然手頃。

 

ニオイが気になる人は、リンゴ酢とか黒酢でもいいらしい。

 

でも注意点としては、砂糖とかが入ってないのを買うこと。

 

髪の毛べたついちゃうし、そんなの酢じゃないからね、厳密に言えば。

 

アレッポの石鹸を使って驚いたことがある。

 

初日とか、数日は髪の毛がありえないほどごわつくんだ。

 

ワックスつけてるみたいな爆発ヘアーも思いのまま。

 

これってたぶん、元々髪についてる市販のシャンプーのせいだと思ってて。

 

髪の毛にこびりついてるのが一気に石鹸の洗浄力で落ちるからだと、勝手に思ってる。

 

さっき、酢を使ってのトリートメントを進めたけど、髪の毛を染めてない人には酢を使わないこともオススメする。

 

1週間ほど経って、髪の毛の違いに気付くだろう。

 

「石鹸だけなのにツヤツヤしてる?!」って。

 

これは髪を染めてしまってる今では少し難しい話なんだけど、黒髪の人には本当に相性のいいシャンプーになると思う。

 

あともう一つ面白いのが、排水溝のぬめりがなくなること。

 

やっぱり市販のシャンプーやトリートメントの中には、いろんな薬剤だったりが入ってるからそれが排水溝の詰まりの原因になってしまうんだ。

 

髪の毛がへばりついてたりするよね。

 

あれとか、もうまさに気持ち悪いんだけど、ここまで何も入れてないから、ぬめりようがない。

 

シャンプーって毎日使うものだから、身体にいいものを使いたいし、こういったぬめりとかもそうだよね。

 

正直、石鹸シャンプーの扱いづらさは本当なんだけど、これは本気でオススメできるシャンプー。

 

でもやっぱりどうしても、ニオイはすごい。笑

 

最初は粘土のニオイ懐かしいなーとか感動するけど、だんだん吐き気してくるから。

 

やっぱり換気は大事だね☆〜(ゝ。∂)

 

ってことで、長くなったけど、今回はここまで。

 

今回はアレッポについてとことん詳しく書いたけど、シャンプーについては結構試してきてるのでこれからもいろいろ書いていけたらいいなあ。

 

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ブラシ置いてたらこんな形に…笑

 

 

 

昔、お笑い芸人になりたかった

今でこそ、信じられないと思われることも多いのだが、中学生のときにお笑い芸人に憧れていた。

 

その当時は、今や引っ張りだこの芸人さんたちが駆け出しの時代。

 

くりぃむしちゅーも、さまぁ〜ずも名前が違った。

 

爆笑オンエアバトルという、NHKの番組を毎週録画し、狂ったように毎日観ていた。

 

しばらくすると、エンタの神様なんかが流行り始めて、そこらへんからお笑い熱が冷めていった。

 

勝手に自分の中で、マイナーなお笑い芸人さんたちをメジャーなものにしたくなかったのがある。

 

大多数の人に当てはまると思うのだが、自分しか知らないインディーズのバンドが急に売れて、雰囲気が変わると何となく寂しくなる…のと感覚は似ているはずだ。

 

その中でも当時、中学生の俺は全然嫌いだったが、ある時を境に「ラーメンズ」にハマることになる。

 

小林賢太郎さんのことは、この世に現存する神様のように思っている。

 

それこそ、テレビへの出演が他の芸人さんに比べてかなり少ないので、知らない人もそれなりにいる。

 

まあ、今回は俺のラーメンズ愛を語る内容ではないので、ここらへんで切っとこう。

 

ブログが終わらなくなる。

 

 

その当時は特に好きな芸人さんがいて、「アメリカザリガニ」と「ルート33」は俺の中でも屈指の芸人さんだった。

 

あの当時は、特に何も考えずに

 

「歌でカバーとかあるなら、芸人のネタをカバーしてもいいはず!」

 

なんて安直に思って、すぐに友人とコンビを結成。上の2組のネタをカバーした。

 

たまたま知り合いの保護者さんたちの何らかの打ち上げに出させてもらうことになり、そこで披露した。

 

ドカーンと、笑いが起きた。

 

ビックリするくらいにみんな笑ってくれた。

 

その笑顔は、他の何にも変えられないほどの宝物だった。

 

この時、俺は芸人になりたくて仕方なかった。

 

 

何がきっかけで、芸人の夢を諦めたのかは今では覚えていない。

 

たぶん音楽にのめり込むようになったとか、何となく芸人はカッコ悪さを求められる気がする、とかそんな感じだったと思う。

 

あの頃の行動力を考えると、本当にすごい勢いだったと思う。

 

あの頃より、歳をとった。

 

きっと歳をとってくるうちに、どこかで常識とかに自分の夢を食われてしまったんだろう。

 

何となく、そう思った。

 

だけど、心の中にまだ夢はいくつも埋もれていて、その夢が外に出たいと叫んでいる。

 

今はお笑い芸人になるなんて夢は浮かばないけど、俺の大事な一部。

 

俺が地味にお笑い芸人に詳しいのには、それなりの熱が入っていた時期があったからだ。

 

あの頃の夢への供養のようなものをするには、他の夢を叶えていくしかない。

 

この旅はまだまだ終われない。

 

何をしていいか、分からない。

 

そのために今は自分の思考をまとめる。

 

俺はまだまだ前に進めるから。

 

あの時の行動力を出すだけだ。

 

 

瞑想を習慣づける

前に書いたとおり、最近は瞑想に凝っている。

 

何か悩みがあったり、どこか釈然としないモヤモヤの原因が分からない時に

人は何かにすがりつきたくなると思うけど、今の俺は正しくそれなのかもしれない。

 

瞑想をしたら何か変わるかも、そんな何かにとりつかれたように、瞑想を繰り返している。

 

それが功を奏してなのかは分からないが、瞑想をしている時間は随分と楽だ。

 

悪く言えば現実逃避のようにも思えてしまうが。

 

 

そもそも日本人に限らず、人間は「考える」という行為の時間が多くあるらしい。

 

特に今では片手で世界と繋がれるほどの、情報端末をほとんどの人間が持っている時代だ。

 

そんな情報過多の時代に、瞑想という手段があるのは実際にいいことだらけだとは思う。

 

少しだけ、スピリチュアルな感じはする。

 

というか、瞑想をするまでスピリチュアルでしかないと思ってた。

 

だって何を調べても、書き口が胡散臭いんだもん。

 

あなたの中の宇宙と繋がるとか、本当の自分と向き合うとか。

 

 

そんな簡単にできたら、苦労しないよ。

 

 

なんて思ってた。

 

でも実際に触れて、始めてみると実に奥深い。

 

まだまだ初心者だけど。

 

ダイエットをするために、一週間に一度だけたくさんの運動をやるよりも

毎日の運動を習慣にしたほうが痩せる、のと同じ原理らしい。

 

つまりは、初心者の域を出ていないうちにやめるとか、やってもいないと胡散臭く感じてしまう。

 

一朝一夕で身につくものではないらしい。

 

 

そもそも何で日本人には、瞑想やスピリチュアルが根付きにくいのか、というのは風土というか国土性なのかと思う。

 

日本は信仰の自由が売りの国みたいなところ。

 

海外では、生まれながらに信仰心がすごい。

 

愛国心というのもとんでもなく差があって、国の為を思ったストライキなんて日本人は、まあやらない。

 

日本人の「偏見」という文化は、厄介な宗教そのものだと思う。

 

実際に海外では瞑想は、日常的らしいし、医学としても使われることが多いという。

 

かくいう俺も日本という土台で生きてきたものだから、偏見だったり、思い込みに毒されているところは多い。

 

 

最近はまさに頭の中がぐちゃぐちゃで、何を考えていいのかすらまとまらない。

 

自分の未来が見えてこない。

 

これはネガティブな意味ではなく、やりたいことがないとかじゃなくて、それのどこに区切りをつけていいか分からない。

 

そのために自分と向き合うための方法に瞑想があるというだけのことだ。

 

今はただ、漠然とよく分からないまま続けている。

 

昨日で、瞑想を始めてから一週間が経った。

 

今は目に見えて結果は出てない。

 

でも今はこれを少し大事にしたいと、何となくだが思う。

 

人は、自分が不安定な時に何かに縋りたくなるから。

 

そんなリアルを書き綴っていきたい。

 

男のスピリチュアルは女々しい?

 

ここ最近、あまりにも自分の人生や、やりたいことが停滞しすぎていることを知人に相談した。

 

その人はパッと見た感じで、スピリチュアルの好きそうな人なのだが、おすすめされたのは「瞑想」だった。

 

結構スピリチュアルってのは女性に多く紐つけられることが多いと思う。

 

相談した人は女性だったのだが、こういうことを言うとだいたいの男には胡散臭く見られるとぼやいていた。

 

幸い俺は特にそういう偏見なんかもないもんだから、これで自体が進展すれば、と思った。

 

数年前から、その界隈ではそれなりに有名人であろうタマオキアヤさんのブログは今でもたまに読むくらいだから、

偏見どころか俺は男にしては好きな方なんだと思う。

 

ビジネス書が自己啓発書と似ているように、スピリチュアルも自己啓発に通じるものがある。(タマオキアヤさんのスピリチュアルの本しか知らないが)

 

自己啓発書が大好きな俺からしたら、特に抵抗はなく信じることはできたわけだ。

 

さて、そんなこんなで生活の中に瞑想を取り入れてみた。

 

だが今回の記事は、瞑想の効果がどうとか、そういったものではない。

 

瞑想は続けているが、それによってまだ効果も実感していない。

 

何より、まだ4日目だから書くほどの変化はなにも起きてないというのが事実だ。

 

 

実際に「瞑想」と聞いて、いや、瞑想を初めてやることになった時に「何をするか」をしっかり答えられる人は少ないと思う。

 

俺もやるまでは「瞑想やってみるかぁ」なんて思っていたが、いざ姿勢に入った時にいくつか疑問が出てきた。

 

・姿勢ってどんなだ?

・何を考えるのか?

・どういうところでやるのか?

みたいなの。

 

で、そしたらググってみようって思った。

 

いくつかのページを読んでいるうちにたどり着いたページがあった。

 

ameblo.jp

 

何でもタマオキアヤさんに師事してもらった人らしい。

 

で、ここらへんでなんとなく「スピリチュアルって女性のしか見たことないような気がする」ってなった。

 

いや、この広い世界にはいるんだろうけど、それをビジネスだとか、人生だとかに交えて発信してる人の中に男性はかなり少ないと思った。

 

そして、先ほど貼ったページに書いてあることを実践しようと思った。

 

これが今回の記事になる。

 

リンク先に飛ばなくても大丈夫なように少しかいつまんで書いてみると

 

頭の中を空っぽにして浮かんできた言葉や感情を一時間以上ノートに書け(3ページ以上)

 

ということ。

 

ふむふむ。

 

しかし、行間や書き方は指定されてないことから、書き方も自由なのだと思われた。

 

だから、とにかく俺の性格を物語るように書いてみた。

 

その結果がこちら。

 

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 めっちゃ見にくいけど、そして醜いけど、自分でもキモいほどの文字の羅列。

 

最初の3ページとか怨念でもこもってんのかと思うくらいびっしり。

 

さすがにちょっとキモい。

 

※文字体が細いので少し空間に見えてしまうけど、マジでとんでもなくびっしり。

 

 

で、ここまで書いたけど、思いのほか、というかたぶんまだ書けることはあった。

 

時間は1時間10分くらい使ったけど、集中力と指の痛みを考慮して今回はここまで。

 

でも一回しかダメとかじゃないし、行き詰まった時にやるのがいいと書いてあるから、これからも定期的にやっていこうかと思っている所存。

 

今回これを書いて、自分の中から生まれたことを実践していこうと思う。

 

その生まれたことを一つ一つこなしていく。

 

とりあえずはそこからのスタートになると思う。

 

この記事に宣言しておくと、今回ので決まったことの中に大きなものがあった。

 

一日最低一つ、今まで自分がやったことのなかったこと、買ったことのないものに挑戦していくということ。

 

今まで無難に生きてきてばっかりだったから、少し楽しみを交えてやってみる。

 

そして最近習慣化してきている、瞑想と筋トレ、一言ブログも徹底していこうと思う。

 

もし、これでなんか変わったらスピリチュアルにハマりそう。

 

でも人は誰しもすがるものを持っていたいわけだよね。

 

とりあえず今日からスピリチュアル頑張ります。

 

 

1400階建てのマンション

 

俺は高いところが苦手だ。

 

いわゆる「高所恐怖症」というやつ。

 

生まれた時からとかではなくて、子供の頃は家の屋根とかに登ったり

ジェットコースターも乗るのが好きだったから育ってくる中で、恐怖を感じるようになったんだと思う。

 

先日、本当に変な夢を見た。

 

夢のスタートは、エレベーターを降りた直後。

 

外に広がる景色を見て、俺は地面に身体全てで突っ伏した。

 

怖い。

 

下が見えない、と思った。

 

見たわけじゃないけど。

 

なぜか夢には弟が出演していて「お前高いところダメだもんね」と笑う。

 

今これを書きながら思い出したが、弟も俺くらいに高所恐怖症だったはずだった。

 

しかし夢の仲の弟は無慈悲にも高所が得意のようだった。

 

続けて「1400階建ての1399階だもんね」と聞こえてきた。

 

気が遠くなった。

 

きっと夢の中の俺は、気絶したんだろう。

 

それと同時に現実世界で、目が覚める。

 

昔から、高いところにいる夢を見ると下半身が痺れる。

 

下から高所を見上げても、上から地面を見下ろしても痺れてくる。

 

まだ覚醒しきってない頭で、もう一度睡眠を選択する。

 

ハッと目を覚ますと、1399階に俺はいて、目の前に弟もいる。

 

その瞬間、足の痺れと共に二度目の覚醒。

 

その痺れがあまりにも痛いので目が覚めてしまった。

 

 

起きて、俺は考える。

 

1400階建てのマンションってどんなだよ。

 

ツッコミどころ満載すぎる。

 

エレベーター乗り損ねたら、とんでもない時間かかりそうだし

そもそも上の階に住めば住むほど、起床時間は早くならなければならない。

 

出勤時間の1時間前で間に合うだろうか。

 

新鮮な食材も少し劣化してしまうかもしれない。

 

そもそも高さ的にどこらへんまでいくだろうか。

 

耐震構造はどうだろうか。

 

考え出すと本当にくだらない。

 

俺は高いところにロマンを感じることはない。

 

なんて夢を見てしまったんだろう。

 

 

夢占いで調べてみたら、「このままではいけない」という努力への暗示とかあったけど、確かにそのとおりかもしれない。

 

今完全に停滞してるもんな。

 

もっとしっかりしないと。

 

 

それにしても高すぎるだろ…。

ヴィレヴァン、ドラマ化おめでとう。

皆さんはヴィレッジヴァンガードというお店をご存知だろうか。

 

きっと今の時代、ヴィレッジヴァンガード(以下ビレバン)を知っている人はとても多いと思う。

 

俺がまだ高校生の頃は周りにも浸透してなくて、知る人ぞ知るみたいな隠れた名店だった。

 

若者にも、個性的な人にも大人気なあの店。

 

少し変なものを扱ってたりするあの店。

 

休みの日とかについつい行きたくなっちゃうようなあの店。

 

わざわざドラマ化したことを記事にしなくても…みたいな話ではあるが、実は俺自身がなにげにとんでもないほどに感慨深くなっている。

 

というのも、実は過去にヴィレヴァンで働いたことが、2回もあるからだ。

 

店舗は違えど、完全に辞めてからまた働いたことがある人は珍しいのではないか、と思う。

 

少し前にブラックな職場で働いてたことを書いた。

 

その中でも語った、「職場に望むのは髪色自由のみ」ということを難なくクリアーするお店…その一つにビレバンがある。

 

昔から服装も髪型も奇抜なものを好んでいた俺は「ビレバンで働いてそう」なんて言われることも少なくなかった。

 

髪色が自由なことに加え、ヘンテコな商品に囲まれるのが楽しそうな感じがして、一度は働きたいと思っていた。

 

むしろそんなふうに思ってしまう若者は多いと思う。

 

ヴィレヴァンは店にもよるが、基本的にバイトを募集していることが多い。

 

あんな幸せそうな空間なのに、なぜ辞める人が…?

 

なんて若い頃は思っていたが、そこにはいくつかの理由がある。

 

働いてみないと分からない、そんな感じでもある。

 

俺は今でもビレバンが大好きだし、よくいろんな店舗をぶらぶらしている。

 

 

だからここに書く記事が悪口でないことだけは、しっかりと理解してから先を読んでいただきたい。

 

 

最初に働いたのは6年ほど前で、2回目は10ヶ月ほど前だ。

 

2回目の時は、時間が経っていたのもあってシステム()も少し変わっていた。

 

2回目の面接の時に店長に言われた採用の理由は「経験者だからじゃなくて、こんなにビレバン好きな人はあんまり見たことないから」だった。

 

実際にビレバンは外から見るとある意味で華々しく見える。

 

少し角度は違うが、ホストの世界が外側はキラキラして見え、中はドス黒い感じに似ているように思う。

 

まあ、要は中と外のギャップみたいなものなんだけど、ビレバンもその例に漏れず。

 

中に入ると、なんとなく見えてくるものがある。

 

それは信仰心に似たもの”と俺は呼んでいる。

 

昔から、何かに盲信している人は少し苦手だ。

 

音楽でも芸能人でも宗教でも、その一つにのめり込む人は「自分の正義」しか貫かない。

 

 

最初に言うと、ビレバンは給料が安い。

 

ただ、俺は別にそこに関しては何の問題もない。

 

ブラックな会社かどうか、を決めるのはいわゆる「賃金の高低」ではない。

 

その給料が気に入らなければ、別の働き口を探せばいいだけなのだ。

 

しかし、ビレバンのスタッフには少なからず「ビレバンが大好きだから」というスタッフが存在する。

 

こういう人は信仰心に飲まれている、と俺は思う。

 

そして好きの状態で働く期間が長ければ長いほど、好きの振り幅は大きくなる。

 

合わないとか、それが好き、を貫けなかったりする場合はすぐ辞めてしまう人が多い。

 

長く働いている人の多くは、信仰心にも似たものを持っている場合が多い。

 

もちろん全員が全員じゃない。

 

自分にとっての働きやすさだったり、都合のつき方だったり、人間関係が楽しいとか、そういうので続ける人ももちろんいる。

 

しかし、そういう人はだいたいが学生だったりとか主婦だとかで、「他に背負うものを持っている人」だ。

 

 

外からは楽しそうに見えても案外と中がドス黒く感じるのは、やはり人間関係。

 

そして「好きなこと」がそのまま仕事になったわけではないということを知ってしまう、そんな現実である。

 

ビレバンがいくら外から楽しそうに見えても、それは仕事だ。

 

悪ふざけのまま働くわけにもいかないし、もちろんロックに働くことはできない。

 

もちろん仕事は真面目に働くものであるとは思う。

 

楽しいものに囲まれてるのは、最初はいいんだと思う。

 

でもそれだけじゃ、会社は回ってくれない。

 

コンビニのように品出しも、陳列も接客もある。

 

それが仕事だからだ。

 

案外、働いているうちに「やってることは普通の仕事」だと気づく。

 

たいしてコンビニやスーパーの店員がやっていることと大差はないのだ。

 

これはシフトにたまに入るバイト、くらいの立場だと気づかないままでもいることができる。

 

上でも書いたとおり、背負うものが少ないからだ。

 

しかし、立場が変わってくるとそうはいかない。

 

何が流行ってるとか、何が売れるとか戦略を持って、常に仕事目線ですべて見なければならない。

 

それが仕事だ!と言われると、もちろんそうだから仕方がない。

 

だが、見たことはないだろうか?

 

お店でやつれて死にそうな目をしているスタッフさんを。

 

その人は店長や、店長に近い存在であることは間違いない。

 

店や、自分のためにシフトも無理をしたり、寝れずに仕事のことだけを考えたり。

 

もちろん普通の信仰心だけじゃそれは続かないし、逃げ出せはする。

 

しかし、日本の常識とやらが作り上げてしまった「正社員になると安定した人生がある」という風潮により、自ら逃げ道を狭めてしまう。

 

 こんなことを書いているが、働く本人がそれで幸せならそれに越したことはない。

 

だけど、それで死にそうな顔をしている人は、一度自らを省みてほしいと思う。

 

実際にそんな顔をしている人もいる。

 

あの華やかに楽しそうな商品に囲まれていると、外側からはそんなふうに見えないかだら。

 

俺は内側にいて、そういう人を見てきた。

 

責任感も強いし、しっかり仕事をする、そしてそれで正社員になるために頑張り続ける。

 

だが、そのためにはいろんな課題をクリアーしなければならないし、すぐに正社員になれるわけでもない。

 

そこで折れたら自分のやってきたことが無駄になるから、と正社員ではないのに長年働いている人もいる。

 

クリアーできないのは自分のせいだ、と自己嫌悪にもなるだろう。

 

でもそれほど皆にとっては魅力なのだ。その正社員とやらが。

 

 

ビレバンにはいろんな”余力(余分な力)”みたいなものが、他より強く集う。

 

それは何かと言うと「絶対的に必要ではないもの」。

 

特にビレバンに置いてある商品なんて、機能性や金額で見て、絶対に他で安く買える商品ばかりだ。

 

面白い雑貨を扱っているから、それは当然なのだけれど。

 

例を言うなら、人より目立ちたいとか、一目置かれたいとか思う中学生は多いと思う。

 

そのために筆箱だったり、タオルだったり、傘だったり、ヘンテコなものに魅力を感じてお金を使う。

 

それが”余力”だ。

 

実際、もっと質が良くて、安いものを探したらたくさん出てくる。

 

だが、人はそれで満足しない。

 

そもそも客という立場が、そのスタートだ。

 

休みの日や仕事終わりに、余った時間で店に行く。

 

そして、普段使わなかった余ったお金を使う。

 

これはもちろんビレバンにも限らずなのだが、一見ふざけた商品が多いビレバンではそれが顕著に表れる。

 

買わなくても全然余裕で生きていける、楽しんでいけるものなのに、それを落としやすい。

 

これはビジネスとしての形ではまさに理想なのだと思う。

 

菊池会長(ビレバンの偉い人)の作り上げた、最強の土台としか言い様がない。

 

この偉い人、本も出してるくらいの人だから気になったら読んでみるといい。

 

 

ビレバンの内側について書いてきたが、ビレバンがここまで認知されるようになったのもきっと創設者である菊池会長が弛まずに走り続けてきたからだと思う。

 

今ほど有名じゃなかった頃なんて、今の時代みたいに受け入れられてなくて、変人の集うお店…みたいな時期もあったはずだ。

 

それでも一生懸命にエンターテイナーとして、プライドを持って走り続けてきた。

 

そこに狂気を感じるし、成功するための法則を真に理解していたのだな、と思う。

 

その結果、今ではビレバンをオマージュする店は多い。

 

東京に住んでいた時に働いていたゲーム屋はポップや売り方だけではなく、社員契約のシステムとかも真似ていたくらいだ。

 

休みの日にビレバンに行くことを勧められたりした。

 

矛盾しているように見えるだろうが、ビレバンにかける愛情は幸い俺のほうがあるけども。

 

この記事を書きながら改めて思った。

 

俺はビレバンを叩きたいわけでもないし、ビジネスとしてみるなら本当に素晴らしいものなのだと思う。

 

昨日も実は行ってきたし。

 

固定ファンができること、これが大事なのは言うまでもない。

 

固定ファンの積み重ねの結果が、今のビレバンを作ってる。

 

 

一回上げてしまったんで、少し悪い面も書く。

 

最古参スタッフのご機嫌取りになることも多い、というところはデメリットの一つ。

 

古参のスタッフは、店長やマネージャーより歴が長い場合があり、偉い人とも付き合いがある。

 

その結果、ワガママが通りやすいポジションにいるわけだ。

 

これはやはりその人にもプライドがあるからだし、そのせいで店長と揉めるとかよく聞くし、何となくやりにくい感じが出てくる。

 

特に新人は、その空気に入れないから余計に思うことだろう。

 

ドラマでは、最上もががその古参の役割を担うようだが現実ではそんな都合よくいかないよ、ってことになる気がしてる。

 

だって仕事だもん。

 

でも正直、キャスティングは本当にすごいビレバン感のある人を揃えたなって感心。

 

でんぱ組の時からずっとビレバンと絡みがあった最上もが出されたら、もう本当にビレバンじゃんって。

 

 

褒めたいのか、貶したいのか、何が言いたいんだって感じで書いてきたけど、まだまだある。

 

まあ、悪口言ってても仕方ないしね。

 

給料安いとか、仕事内容が合わない、シフトがきつい、とかなら他の仕事場探せばいいだけで。

 

実際に聞いたり、実際に体験してみると思うのが、ビレバンの場合はブラックを自分で作ってしまうこと。

 

やっぱり大企業になっちゃったからってのもあるんだけど、基本的にビレバンという企業自体はブラックではないように思う。

 

きちんと定時であがることも可能なわけで。(もちろん繁忙期は少し事情も変わるが、それはどこでも同じだし、完全ホワイトの会社のが少ないと思う)

 

正社員になりたいからって、自分の器量を上回ることやったりとか、睡眠取らずに体を犠牲にしてしまう真面目な人がいるということ。

 

頼まれたら断れないほどの優しさが、利用されてしまうことが多いということ。

 

それを誰かに伝える術が少ないということ。

 

会社自体はブラックではないけど、人の心がすり減るから、ブラックと感じても仕方ないのかもしれない。

 

実際にすごく楽しく働いてる人もいるわけだから、それまで否定するつもりはないけどね。

 

キツくても、それが楽しくて、人の笑顔見て笑顔になれて、そして「ここで働いててよかった!」って人もいたから。

 

あの笑顔は本当に素敵だった。

 

 

こんな俺にも願うことがある。

 

ドラマの影響もあって、これから興味がなかった人もビレバンに興味が出てくるし、実際にCMでもバイトの募集を促してたくらいだから、いろんな層が知ることになるだろう。

 

こういった店員さんに労う気持ちを持つ人が増えてほしい、ということだ。

 

別にビレバンに限った事じゃない。

 

いろんな人はミスもすれば、怒られることだってある。

 

だけど、必死に働いている人にクレームを出すのが趣味のような生き方をしている人がいるのは見るに堪えない。

 

どの仕事がドラマ化されたとして、ドラマのように上手くいくわけない、もっと泥臭い世界だ。

 

ビレバンで必死に生きてる人、頑張ってる人たちを見てきた。

 

正社員になるのを諦めた人もたくさんいる。

 

店長や正社員候補の人は、おそらく会社の完全なる方針で、県外から来ている人だらけだ。

 

友達もいない辺境の地で、スタッフに馴染めなかったり、馴染めるように頑張ったり、しなくてもいい苦労を選んで生きている。

 

そして働いている。

 

それはやっぱりビレバンが好きで、そこで生きていきたいというものが根本にあるからだと思う。

 

そんな人たちの気持ちを踏みにじらないような会社であってほしい。

 

みんな、ビレバンを愛しているのだから。

 

俺はもう外側からしか見ないけど、やっぱり大好きだよ、ビレバン

 

そして、ビレバンで働く方々も、お疲れ様です。

 

ヴィレヴァン、本当にドラマ化おめでとう。

 

 

 

去年働いてた時の画像あったから載せとこう。

 

ハロウィンの仮装してた時だったから、少し恥ずかしいけど。笑 

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