全然思ってた内容と違って、濃厚な友情を描いてた映画「orange」を観た(ネタバレ注意)

土屋太鳳・山崎賢人の主演映画。

正直普段ならこういうのは観ないんだけど、そういうことを言ってるだけじゃ結局自分の価値観は変わらないと思ってレンタルしてみた。

だって、どう考えても恋愛映画じゃん。

土屋太鳳と山崎賢人だよ?

これで恋愛じゃないほうがおかしいじゃん。

男が恋愛映画で感動するわけがないじゃん?

まあ実際に言うと恋愛ではあるんだけど、その恋愛の濃度が普通の恋愛の内容より薄い。

どちらかと言うと、高校生たちの友情物語。

 

少しファンタジーというか、通常では考えられないことが起こってるから、そういう人こそ苦手な部類になるのかもしれない。

俺はそもそも「タイムパラドックス」とか「平行世界」とかが好きだから、こういうのは大好物。

 

大ヒットした「君の名は」のような最悪の未来を変えるために、主人公の女子高生が頑張って新しい未来を紡いでいく。

作中でも語られることだが、この映画のストーリーが濃厚なのは、上で俺が好きと書いた「タイムパラドックス」という概念の話の暗い部分にスポットを当てているというところ。

 

冒頭で、未来の主人公から手紙が届く。

それは、主人公の好きな人が自ら命を絶つことが書いてあり、それを起こらないようにしてほしいという願いが綴ってあった。

これは最悪の未来を改変するという、未来の自分が出てくる作品にはありがちなものである。

筒井康隆の「時をかける少女」なんかはそれを逆手にとったパターンで面白かった。

こういう作品に関しては平行世界に関して触れることは至って少ない。

(触れる、というのは作中での絡みというものではなく、作品自体に登場しないか、その頻度が少ない)

また、平行世界ではなく、単純に未来を変えて、ハッピーエンドみたいなものが多い。

 

しかし、この映画の魅せ方の上手さの一つとして「未来を救っても、手紙を出した世界の好きな人は生き返ることはない」を描いたこと。

手紙は単純に「未来から届いた」のではなく「平行世界の未来から届いた」というものであった。

なのでもちろん平行世界の未来も物語は少しずつ進展していくし、その世界はもうその世界の未来が作られていて、改変のしようがないという前提がある。

並行世界の未来の彼に未来はない。

だからこそ命が輝く…というか、最悪の未来では自ら命を絶ってしまった、こっちの世界の彼が「生きる」という決意が余計に輝く。

「後悔を一つ消せなくてごめんなさい」という言葉を未来の自分に向けて言うシーンも、今考えたら、そっちの未来の自分には何も届いてないし、何も変わってない。

 

正直に言おう。

新たに開拓して観た映画の中では最高としか言いようのないほどの内容だった。

この映画は完全に俺の好みを把握したかのような内容。

仲間内に嫌味なキャラがいない。

俺は映画で悪役や嫌いなキャラにも感情移入してしまって悲しく感じてしまうから、その役があまりいないことにも注目。

先輩の嫌がらせくらいだ。

そのシーンも5分もないくらいの短いシーンなので、ストレスフリー。

そして無意味なラブシーンもない。

破廉恥なのももちろんないし、何を見せられてるか分からない夫婦漫才のようなシーンもない。

純粋で健全な高校生同士の恋愛と、スカッとする友情そのもの。

 

そして、土屋太鳳の演技も相まって「恋のもどかしさ」がすごく伝わってきた。

お弁当を上手く渡せないところとか、きちんと気持ちを伝えれないところは、観る側からしたらイライラしそうなところではあるが、自分自身の恋の歴史に絡めてみるとよく分かる。

小中高と恋愛や恋、片思いを経験した人は多いはずだ。

あの時、恋には臆病じゃなかったろうか?

今でもそうかもしれないけど、あの青春特有の輝きをもった臆病さだ。

当時のもどかしさや、気恥ずかしさや、純粋な気持ちが一気に戻ってくるような。

そんな感覚に陥る。

 

未来を変えるために行動するとしても、やはり人間は基本的に臆病なものだ。

勇気がでないこともあるし、言い訳をして逃げ出してしまうことも多い。

だが、その勇気は未来を変える。

人を救える。

人を幸せにできる。

臆病でいるのも自分次第ではあるが。

待っているだけじゃ世界は変わらない。

相手が何を抱えているのかなんて、本当の意味で理解できたことはないと思う。

だからこそ、待ってるだけじゃなくて自分から相手の話を聞こうとすることも大事だと思えた。

 

主人公と協力者のおかげで、未来は少しずつ変わり始める。

手紙の内容にそぐわないことも出てくる。

その「未来からの手紙」を仲間内に話してから、信じるか信じないかで「未来からの手紙は信じない、でも友達のことは信じる」ってセリフはすごく自然で暑苦しいのにさわやかで、いい言葉だった。

親友ポジション、お調子者ポジションの友達が、気を使ってくれたりするとめっちゃ好感度上がるよね。

こういうポジションの人間になりたい。

ちなみに協力者の立場には絶対になりたくない。

自分の好きな人を諦めなきゃいけないって残酷すぎる。

でもそれより、友達として応援するという決意もまた、明るい未来のためには必要なことだったのだろう。

 

山崎賢人が演じるキャラは単純にメンヘラ感が強い。

というより、そうなってしまった経緯もなかなか重いので頷けることだが。

冒頭で主人公が、手紙の内容をいたずらとして扱っていたために、メンヘラが発動してしまう。

ここについても考えていた。

彼の母親については、どちらの世界でも救えていないことを。

 

こういったタイムパラドックスとは、多少のズレや、不安因子があっても到達点は同じとする考えがある。

簡単に言うと、ゴールまでの道のりがどんなであれ、たどり着く場所に変わりはない。

そうなってしまう力が働いてしまうという。

不安定な未来を作り出さないために、もうすでにある程度の未来は決まっているわけだ。

それを変えるのが人の意思だったり、行動だったりするわけだけど、そういうのはご都合主義や熱血漫画でしかお目にはかかれない。

 

上記を踏まえると、彼のメンヘラ発動のトリガーになる「母親の自殺」は変えようがない。

彼の母親は、きっと何をしててもあそこで死んでしまう運命の輪から外れることはできなかったのだ。

…ということを言い始めるとこの映画自体も、あの手紙自体にも全く意味やストーリーが生まれなくなるからキリがない。

言い換えるならば、映画のエンディングは決まっている。

そのために役者が素晴らしい演技をしても、雨になっても、決まったエンディングに進むということ。

その映画を観るにしても、撮るにしても、あの母親の「死」こそが物語のスタートである。

「母の死」によって始まった物語で、母を救えるわけがないのだ。

 

最後の最後まで、平行世界と交わることはない。

あったのは手紙くらいだ。

そっちの世界では彼のいない無慈悲な現実が待っていて、彼のいない未来が紡がれていく。

そっちの世界の主人公に「この一瞬一瞬が、私たちの未来に繋がっていることを教えてくれてありがとう。」と言って映画は終わる。

どちらの世界でもその親友グループで太陽を見て。

 

 

この太陽のシーンを見ながら、俺は思い出していた。

中学3年生の頃、大晦日に仲良しの友人たちと集まって初詣に向かい、そこから夜通し海に向かって歌を歌ったことを。

伴奏もBGMもない、アカペラだったけど、皆で海に向かって大声で歌った。

初日の出が出るまで歌ったあれは、きっと心の中からの叫びだった。

一種の咆哮のようなもの。

あと、歌いながら自転車を全力で漕いで自分は飛び降りて、自転車だけを走らせる「幽霊自転車」もやって、みんなで笑った。

 

あの頃のようなことは、もうできないだろう。

それは分かってる。

寂しいけれど、みんな大人になって、常識も身につけて、体裁を気にするようになった。

きっと恥ずかしくてアカペラで、大声で歌えるわけがない。

そもそも元旦の朝なんて、きっと忙しくて集まれないだろう。

幽霊自転車というもの自体が本当に幽霊のように消えてしまった。

大人になるなんて、想像しなかったみんなが大人になって、そして生きている。

あの頃の未来に生きている。

 

今まで最高の景色はたくさん見てきたけど、あの時見た初日の出より美しい景色はもう見れないと思う。

あの頃みんなで全力で生きていた。

そして、これからも生きていく。

みんなより、もっと楽しんで生きていくよ。

あの頃には戻れないけど精一杯、今と未来を生きていくよ。

 

 

そんなもどかしくも青く蒼い過去を思い出させてくれるような、本当にいい映画に巡り会えた。

今回のは本当に当たり。

最高の友情映画。

素敵な映画をありがとうございました。