圧倒的に過去作とクオリティが違う劇場版「名探偵コナン ゼロの執行人」を観た(ネタバレ注意)
最初に断っておく。
俺はとんでもなく「金田一少年の事件簿」が好きだということを。
過去からよく比較されることが多い探偵作品「名探偵コナン」とは対照的なものである。
ちなみに昔は、コナンが嫌いだった。
理由としては犯人の動機がみみっちいとか、「バーロー」が鼻につく、とかそんな感じ。
金田一少年は対して、十年越しの復讐とか、親の敵とか、恋人の敵とか。
その重さが個人的に好きだったのが金田一で、コナンはなんとなく受け入れられなかった。
ところが、今では結構コナンを好きになったこともあり、実は金田一少年の事件簿は自分の中で迷走してる感がある。(今やってるの少年でもなくなったし)
今考えたら、金田一の犯人の動機は重すぎる。
子供向けじゃないレベルなのだが、それが好きだった子供の頃の俺に驚きだ。
探偵学園Qを挟んでから、金田一の作画がみんな幼くなったのもちょっとマイナス。
最初の絵のタッチが不気味で好きだった。
caseシリーズくらいが個人的に一番いい。
あと、やっぱり高遠遙一は漫画の好きな敵キャラTOP3に入る。
関係ないが、1位フリーザ、2位涅マユリに続くほどのカリスマである。(中尾隆聖に寄ってるのは、たまたまではない。中尾隆聖が大好きなんだ。)
そういや、一回金田一少年の事件簿のアニメで容疑者3人の声優が、中尾隆聖、大塚明夫、山口勝平だったことあったな。
というか、コナンの映画の話からズレた。
前々からコナンの映画に関しては内容を落とすことがないというか、どの映画も面白い。
いつも強い蘭姉ちゃんが乙女化するのはいかがなものかと思うが、それもご愛嬌。(映画のジャイアン現象)
さて、ゼロの執行人に話を戻そう。
今まで映画版のコナンもいくつか観てきているが、スケールが違った。
そもそも一番の人気だった怪盗キッドを一気に押しのけた人気キャラ、安室透がメインなのもあるだろう。
公開直後は映画館が大変なことになってたのを、友人に聞いたことがある。
そもそも「名探偵コナンという作品の中だけ」で人気のあった怪盗キッドだが、アニメで言えばそれが通常だ。
アニメの垣根を越えて圧倒的に人気の出るキャラなんてあんまりいない。(パッと浮かぶので言えばドラゴンボールや銀魂とか、それでもまだ弱い。)
全然、コナンに興味のなかった層まで取り込んでしまう安室透の人気たるや…。
今回の映画は展開が早い。
主人公サイドであるはずの毛利のおっちゃんの逮捕だったり、普段は味方寄りである安室が敵のポジション?と、予告にも完全に力を入れていたが、こんないにサクサク立ち位置をしっかり固定してくれると物語に入りやすい。
しいてこの映画の難点といえば、いつも出てるキャラ以外にモブ顔が多すぎることだと思う。
おっちゃんを庇うために弁護だとか検察って言葉が出てくるのもあって、そういうところの説明もいくつかある。
この映画を観ると、ゲーム「逆転裁判」をやりたくなってくる。
ちなみに余談だが安室透サイドでの古谷徹と飛田展男の絡みが聞けるのは、ガンダムファンへのご褒美だと思っていい。
安室透の人気の一つなのかもしれないが、全く揺らがない正義と、そこに私情を挟まないところが清々しい。
そのためにしっかり「責任をとる」男らしさもカッコイイんだと思う。
圧倒的な正義というか、そのために全てを厭わない強さ。
ワンピースで言うところの赤犬のように感じてもしまうけども。
この映画ではいつもの名台詞「江戸川コナン…探偵さ」が物語中盤にて聞ける。
そのシーンもなんか結構カッコイイ。
コナンもいつもより輝いて感じる映画だ。
前々から思っていることだけど、コナンという作品の魅力には「子供を演じる」という部分もあることを改めて認識した。
金田一少年の事件簿をはじめ、他の推理作品と違って異端すぎる。
メリットとデメリットの振り幅がでかい。
そこまで利用して犯人にこぎつける工藤新一のカリスマ性というか、能力は凄まじい。
さすがに比べるものではないと思うが、金田一と推理勝負なんてやったら圧倒的に差が開く気がする。
金田一ってコナンと違って、周りのヒントからピンとくることも多いし。(あくまでフォローしておくけど、俺は金田一派。)
コナンにおける「ドラえもん」こと博士。
博士の作った道具ってなにげにいろんな人を救ってるんだけど、ある意味コナンってそういう近未来要素強すぎて、たまにおいてけぼりくらう。
そこらへんは金田一の方が現実味あっていいかも。
コナンのシューズ間違いなく人殺せる。
それにしても今回の犯人は結構、復讐に関して徹底してる。
たまにいるけど、きちんとわきまえてる側の犯人。
動機自体も個人の怨恨とかじゃないし、間違った正義への粛清に近い。
その判断も裁きも一個人がやっていいものではないのだけども。(そしてそれでコナンに怒られるけど)
実際にこの犯人は正義感から、毛利のおっちゃんが起訴されるのを防ぐためにテロを起こしてるわけだし。
安室が言ってたように「責任を取る」ということの伏線が回収される。
責任を取る能力や力がない人間の正義は危険ということか。
黒の組織は直接出てこないけど、すごい伏線が隠されてるようなシーンがある。
そして、物足りないと思ってからのどんでん返し。
ここでまたヒヤヒヤする。
特にカーチェイスというか、車で飛ばしていくシーンはいろんな意味でシビれる。
絶対に死ぬことはないのは分かってるんだけどもちょっと元気良すぎ。
まあどんな機体だったとしても、パイロットがアムロだからね。(名前的にも声的にも。機体も白いから、まさに公安の白い悪魔。)
毛利のおっちゃんを巻き込んだ理由が、コナンの本気を出させるため、って安室の言葉があったように、今回は確かにコナンの推理が上に行き過ぎてた気がする。
全体的に圧倒的な早さ。
やっぱり工藤新一ってすごいカリスマだなあ。
まとめ。
この映画は、いろんな人たちの正義が交錯していた。
その価値観や、それぞれの戦い方にすごく胸が打たれる。
コナン「正義のためなら人が死んでもいいっていうのか!」
犯人「正義のためなら多少の犠牲は仕方ない!」
コナン「そんなの正義じゃない!」
こんなやりとりがあった。
毎回言うように永遠のテーマなんだよなあ。
犯人のはまんま悪役の台詞なんだけど、現実にそれがあったとして、どっちも選ぶことなんてできないんだよなぁ。
その正義を守るために大事な人を犠牲にできるのか、って。
犯人側の立場に立たないとわからないことがありすぎる。
最終的に犯行動機の引き金になった人物に
「それが私の信じたあなたの正義なんですか?」と聞かれて思いとどまるけど、
周りが見えてない時って、きっと正義と思い込みたいだけというか。
そうなってしまうと、正しさの押しつけであるだけ。
やっぱり主観的な正義の押しつけは、悪なのだと実感。
そして、最後に流れてくる福山雅治の「零-ZERO-」という曲。
これはすごい。
久しぶりに脳内までガツンとくる楽曲だ。
曲がカッコイイだけじゃなく、作詞がすごい。
これをゼロというワードに合わせて作れるのってやっぱり天才としかいいようがない。
正義の数は、涙の数だけ、
完全なる正しさなど「無(ゼロ)」なんだよ。
この歌詞にもあるように、福山雅治の正義を音楽からひしひしと感じることができる。
とにかく好きなのは一番の歌詞全部。
歌詞が全体を通して曇らないまま聞ける歌ってあんまりないんだけど、この歌は本当に珍しいくらい歌詞の重みが抜けない。
最初から最後まで、突き抜けるように観ることができる。
正直この映画はコナンだからと舐めていたけど、ある程度コナンを知ってるだけでも十分に楽しめる。
この映画は観たほうがいい作品の一つだ。