瞑想を習慣づける

前に書いたとおり、最近は瞑想に凝っている。

 

何か悩みがあったり、どこか釈然としないモヤモヤの原因が分からない時に

人は何かにすがりつきたくなると思うけど、今の俺は正しくそれなのかもしれない。

 

瞑想をしたら何か変わるかも、そんな何かにとりつかれたように、瞑想を繰り返している。

 

それが功を奏してなのかは分からないが、瞑想をしている時間は随分と楽だ。

 

悪く言えば現実逃避のようにも思えてしまうが。

 

 

そもそも日本人に限らず、人間は「考える」という行為の時間が多くあるらしい。

 

特に今では片手で世界と繋がれるほどの、情報端末をほとんどの人間が持っている時代だ。

 

そんな情報過多の時代に、瞑想という手段があるのは実際にいいことだらけだとは思う。

 

少しだけ、スピリチュアルな感じはする。

 

というか、瞑想をするまでスピリチュアルでしかないと思ってた。

 

だって何を調べても、書き口が胡散臭いんだもん。

 

あなたの中の宇宙と繋がるとか、本当の自分と向き合うとか。

 

 

そんな簡単にできたら、苦労しないよ。

 

 

なんて思ってた。

 

でも実際に触れて、始めてみると実に奥深い。

 

まだまだ初心者だけど。

 

ダイエットをするために、一週間に一度だけたくさんの運動をやるよりも

毎日の運動を習慣にしたほうが痩せる、のと同じ原理らしい。

 

つまりは、初心者の域を出ていないうちにやめるとか、やってもいないと胡散臭く感じてしまう。

 

一朝一夕で身につくものではないらしい。

 

 

そもそも何で日本人には、瞑想やスピリチュアルが根付きにくいのか、というのは風土というか国土性なのかと思う。

 

日本は信仰の自由が売りの国みたいなところ。

 

海外では、生まれながらに信仰心がすごい。

 

愛国心というのもとんでもなく差があって、国の為を思ったストライキなんて日本人は、まあやらない。

 

日本人の「偏見」という文化は、厄介な宗教そのものだと思う。

 

実際に海外では瞑想は、日常的らしいし、医学としても使われることが多いという。

 

かくいう俺も日本という土台で生きてきたものだから、偏見だったり、思い込みに毒されているところは多い。

 

 

最近はまさに頭の中がぐちゃぐちゃで、何を考えていいのかすらまとまらない。

 

自分の未来が見えてこない。

 

これはネガティブな意味ではなく、やりたいことがないとかじゃなくて、それのどこに区切りをつけていいか分からない。

 

そのために自分と向き合うための方法に瞑想があるというだけのことだ。

 

今はただ、漠然とよく分からないまま続けている。

 

昨日で、瞑想を始めてから一週間が経った。

 

今は目に見えて結果は出てない。

 

でも今はこれを少し大事にしたいと、何となくだが思う。

 

人は、自分が不安定な時に何かに縋りたくなるから。

 

そんなリアルを書き綴っていきたい。