ログポース〜自分の音楽の整理〜
これからの指針として残しておこう。
今日、過去から溜めに溜めた自作曲の音楽と面と向かった。
一度音楽を捨てると決めた日から、このノートやルーズリーフ達は捨てるに捨てれなくて、ずっと持っていた。
最近特に思っているのが、「自分の限界は自分が作ってしまっている」ということ。
これは尊敬するレペゼン地球のDJ社長が言っていたことから思い知った。
「自分のできる音楽としたい音楽は一致してなきゃいけない」という気持ちがあったのは事実で。
「俺はこんな音楽しかできないから」というものを象徴したかのようなノートたち。
だから、こいつらと真剣に向き合って、捨てるものは捨てようと決意した。
今の俺でも全ては持てない。
やることと、やらないことはしっかりと分けていかなければ、ということでノートを開く。
一番驚いたのは、本当に雑に作った曲以外は何となくでも「覚えている」ということだ。
少しのメモとして残していたものも含めると300枚近くあったように思う。
これと全て向き合うのは、骨が折れた。
このノートの文字や歌詞は、過去の俺を象徴していて、とりわけいい歌詞があるわけじゃないと思ったけど、やっぱり愛着はあって。
だからこそ、これを捨てなければ先に行けないと思った。
半分ではなく、過去の俺をしっかりと弔う。
俺はもう、過去の俺じゃない。
過去ももちろん持って行くけど、いつまでも咲かない目に水をやっているわけにはいかない。
俺の作った歌を読み返しているうちに、いろんなことを思い出した。
それは「この時ってこんなことがあってこんな曲作ったんだよな」みたいな。
まさに写真のようなものだった。
ムカついたこと、楽しかったこと、悲しかったこと、嬉しかったこと。
いつの間にか、それは思い出すのもやっとな記憶の一部に成り果てていて、
この時々に感じていた俺の胸を抉るような先鋭さはない。
俺を苦しめることはない。
自分の作った曲がまるで悪者みたいだな。
でも、そう。
良いも悪いもひっくるめて、音を作ってきたんだ。
良いを出せずにいた自分を、これから生かしていく。
俺の大好きな曲たちよ、今までありがとう。
もっとすごい音楽作るから。
君たちとは、ここでお別れだ。
半分なんて往生際が悪いことはしない。
俺の身を、時間を削って生まれた半身たちよ。
心から感謝する。