なんてことない思い出が、味を特別なものにする

 

普段、実はカップ麺を食べることはあまりない。

 

セブンイレブンにある、蒙古タンメン中本くらいは定期的に食べたくなるが、そこまでカップ麺を求めてはいない。

 

もともとコンビニ弁当や、カップ麺といったものが苦手だから、本当に食べないんだけど、それでもずっと好きなカップ麺がある。

 

それがコレ。

 

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カップヌードルのチリトマト。

 

普通に美味しいのもあるけど、これは俺にとって本当に特別な食べ物だ。

 

 

今から10年と少し前。

 

俺は東京に住んでいた。

 

今と違って、考え方や思考も未熟で、精神的にももちろん未熟だった。

 

この当時、職場の先輩の紹介で知り合った、一つ歳上の女の子と付き合っていたのだが

 

今思えば恥ずかしいほどに、俺は子供だった。

 

ヤキモチという言葉では済まないほどの「束縛」もしていたと思う。

 

そんな俺を彼女はいつも優しく包み込んでくれた。

 

喧嘩が始まるのも、ほとんどは俺のわがままで、それでも離れなかったのは、彼女が本当に大人だったとしか言い様がない。

 

 

ある日、彼女を含む職場の先輩たちと遊んでいたのだが、楽しすぎて終電を逃した。

 

…正直に言うと、彼女と離れたくなかった俺は、正直に言えば「終電を逃したフリ」をした。

 

父子家庭の彼女は、家にはさすがに泊めれない…と困っていたが、すぐに思いついたようで

 

「お父さんの車があるから、そこにこっそり泊まる…?私も一緒にいるから」

 

と言ってくれた。

 

団地住みだったので、駐車場から距離があって夜中はお父さんは外出しないらしい。

 

俺は、何でもよかった。

 

彼女と一緒にいれるなら、どこでもいい。

 

 

その日、彼女は一旦家に帰り、お風呂に入った後に、お父さんに「友達の家に泊まってくる」と言って家を出てきた、と言っていた。

 

その時に持ってきてくれた夜食が、カップヌードルのチリトマトだった。

 

2人で一緒に「悪いことをしている」という背徳感に少しだけ酔いながら、同じものを食べた。

 

「これ結構、美味しいね」なんて、2人して笑った。

 

最初は「カップ麺ってあんまり食べないんだよなあ」なんて思っていたが、彼女と食べたチリトマトヌードルは本当に美味しかった。

 

少しだけ窓を開けて、あそこらへんが私の家だよ、なんて彼女は言ってた。

 

風に乗って、チリトマトの匂いは消えた。

 

あの時の光景は、今でも忘れられない。

 

 

それから数ヵ月後、地元に帰る俺を彼女は見送ってくれた。

 

結局、そのことが原因で「遠距離は無理だ」という話になって、別れることを選んだ。

 

俺は、地元に帰って、彼女がいない寂しさを実感する度に泣いていた。

 

女々しい、女々しい、女々しい。

 

こんなに女々しい男を本当に愛してくれた。

 

自分が馬鹿だったと死ぬほど、後悔した。

 

だけど、自分が選んだ道を進んでいくことが、彼女へのありがとうだと、何度も何度も言い聞かせながら前を向いた。

 

時間はあれから、もう10年という月日を刻み、思い出が色あせていく中で、俺も随分と大人になってしまった。

 

あの時、憧れた大人になんてなれてやしない。

 

だけど、今俺はしっかりと前を向けているだろうか。

 

それがあの人へのありがとうだと思っていた頃の記憶さえ失ってしまっていたわけだ。

 

 

チリトマトヌードルを食べるとき、俺はあの時の車の中に戻れる。

 

そして、その度に泣きそうになる。

 

あの時の車の中の空間を超えるほどの愛しい空間には出会ったことがない。

 

俺にとって、特別な味、特別な香り。

 

あの空間を超える空間に出会えることは、もうないかもしれない。

 

 

…それでも、今の俺の仲間たちは、いつもそれに近い空間を作ってくれる。

 

今。

 

俺は、大切な同志と呼べる人達と共に、戦っている。

 

いつか必ず、この俺のままで、あの時のありがとうを伝えたいと思う。

 

そのために、この仲間たちと一緒に進んでいく。

 

 

なんてことない思い出が、味を特別なものに変える。

 

なんてことない思い出が、過去を特別なものに変える。

 

なんてことない思い出が、未来を特別なものに変える。

 

なんてことない思い出を、噛み締めて生きていく。