こだまさんはパラレルワールドがお好き〜怪談朗読【異聞奇譚】裏話〜

怪談朗読を何度もやっていると、目が肥えてくる。

 

そもそも元々が、小説の類が好きな人間だから、

そこらへんの人よりかは、ほんの少しだけ文章やオチに口うるさい。

 

やっぱり朗読をやっているからには、

話の中の言葉や、語りに感情を投影しなければならず、

そのためには

 

一度文章を読み上げてみて、

自分の感情が乗せやすいかどうか

 

ってのが、かなり話の選考基準に加わってくるわけだ。

 

 

一本あたりが10分を超える話になってくると、かなり神経を使って読み上げるし、

20〜30分なんて超えられると、正気の沙汰じゃない。

 

とはいえ、少し前に朗読した「夏休みのバイト」や「かえるのうた」、そして少し前に朗読した「自転車に乗っている夢」なんかは本当に頑張ったと思う。

 

youtu.be

 

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ただ単に「怖い」という理由で選ぶと、自分としても聴く人としてもチープな内容になってくる。

 

それで言えば「姦姦蛇螺」とかは、本当に映画化とかを狙ったかのような、創作伝承物と個人的に位置づけているものの、あれは圧倒的に怪談朗読には向かない。

 

怖い話として話す分にはいいかもしれないが、絵文字や記号なんかを使って表現されている文章は、朗読として難しい。

 

一方で打開策としては、画像や、絵をそこに乗せればいいのだが、

それをやってしまうと”朗読”という前提が崩壊し、感情の部分がおざなりになってしまいそうで、どうも難しい。

 

だから単純に「好き」や「怖い」と考えている話が、朗読に向いているか、とは別の話というわけだ。

 

 

そもそも、本当に怖い話って何なのだろうか。

 

”他人の実体験”など、自分に関係のないところの恐怖なんて、本当に恐怖なのだろうか?

 

特に怪異となると、スピリチュアルとまではいかないが、仮想現実よろしく、

現実感のない話としてとらえている人も一定数はいるはずだ。

 

だからこそ、怖い話というものは、「心霊」と「人怖」に大きく分かれる。

心霊がどうも信じられない場合、恐怖できるのは人の怖さで、

やっぱり「生きている人間が一番怖い」というのは、実際にそうなんだと思う。

 

結局の所、心霊だろうが、人怖だろうが、

自分に当てはめて、それがリアルに感じれるほど、本当の怖い話

なのだと思う。

(その点で言えば、すごく有名な話である「リゾートバイト」は心霊かつ、人怖でもあると思う。)

 

人によって、怖い話や好きな話に差が出るのはこういう側面が大きい。

こだまは怖がりなので、直接的な描写や、苦手なグロ描写の話をあまり好まない。

 

なので、何でも朗読します!っていう感じではない。

一応目は通すけど、どんなに面白くても、どんなに怖くても「話せない」のでは意味がない。

 

そんな中、優先的に選ぶジャンルがある。

 

パラレルワールド」「タイムパラドックス」のような、不可思議系である。

 

それこそ坂本龍馬未来人説だったり、UFO=タイムマシーン説だったりは大好物。

 

どこかで、解釈の辻褄が合うことが、とにかく好きなんだと思う。

 

また、解釈が人によってばらけたりするところも好きで、そういった考察によるディスカッションができるのも魅力。

 

考察と言わず、物語は完結しているが、ゲーム「SILENT HILL2」「SIREN2」が大好きなのは、解釈が自由にでき、その伏線をキレイな形として回収してくれたからだ。

 

サイレントヒルに関しては、小説も持ってるし、廉価版だったりHDリマスター版も買うほどにのめり込んだ。

 

単純にパラレルワールドが好きなのだろう。

 

全然話は違うけど、ゲーム「スーパーロボット大戦」が大好きなのも

「ロボットが好き」というより、本来は違う時間軸にあるアニメたちを、

上手く(無理あるけど)同じ世界線に並べているところもある。

 

さて、前フリがとても長くなってしまったが、(もっと長くなりそうだから)

今回なぜこのタイトルにしたか、という話をする。

 

わざわざ記事にするくらいだから、本当に面白いと思ったのだ。

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あんまり心霊的に怖くないので、怖いのが苦手な人でも読めると思う。

 

簡単に物語を書くと、

 

書き手さんが家に帰ると、家には母がいて、夕飯を作っている。

着替えて居間に座ってどら焼きを食べる。

 

母親はシチューを作ってるらしく、「先に食べる?」と聞いてくるが、

どら焼きを食べたのでお腹空いてないと断る。(ここで違和感に気づく)

意味深なことを言い出す母。←みんなでせえので食べよう、みたいな。

 

怖くなり、走りに行くと伝え、逃げるように外に出てしばらく走って家に向かうと、

パート終わりの買い物帰りであろう母が、玄関を開けようとしている。

 

「シチューは?」と聞くと、「シチューは時間がかかるから、炒めものでいい?」と言われ、怪訝に思いながら台所に向かうと、朝出ていったままであろう台所の姿。

 

時は経ち、大人になって母にその話をすると、その当時のことを母親が話す。

夫の浮気やパート先でのいじめが重なっていて、

こんなに辛いのなら、子供を殺して自分も死のうとしていた時期だった、と。

 

母曰く、そのシチューを作っていた自分は生霊だったのかもね、と。

(夫は浮気相手に振られたと言ったが、本当は事故死だったとか。)

 

 

この話自体は、まあ個人的に、YouTube内での採点形式で言うなら★★☆☆☆くらい。

 

怖いと言うより面白いな、ってくらいで、書き方も上手だから、朗読の対象内ではある。

 

しかし、なぜこの話を今回記事にしたかというと、もちろんしっかりとした理由がある。

 

この書き手さんが、後半でとても面白いことを言っているのだ。

 

シチューの母も、買い物帰りの母も、どちらも存在していた本物の母親で、

自分があのときに、どら焼きを食べずにシチューを食べていたら、

そっちの方が正史になったパラレルワールドがあったのかもしれない。

 

この解釈の仕方には、すごく衝撃が走った。

つまり、この時どちらを食べるをの選択が、AルートとBルートの分岐点だったのかも、というのだ。

 

世界には、見えない力が働いていて、特にパラレルワールドのような、不安定な世界線もそう。

 

いくつにも分岐するルートがあるものの、ゴール自体があまり変わらないように修正されていくと言われる。

 

しかしこの話では、シチューを選んでいたら、買い物帰りの母の方が消えていて、

思いつめていた母親に無理心中に巻き込まれるエンドに突入し、自分がいない未来があった、みたいな話をしている。

 

この解釈は本当に面白い。

もしかしたら、こういうことは日常で起こっていて、それに気づいていないだけかもしれない。

 

知らず知らずのうちに、正解を選ぶことがある。

ほんの少しだけずれていたら、死んでいたかもしれないということがあったりする。

 

それを選んだから、今の人生があるということもある。

人生は選択肢の連続で、人は無意識に正解を選んでいくのだと思う。

 

それが失敗かどうかを決めて、

そこから落ちぶれるか、ひねくれるか、前を向いて取り戻そうと頑張るか、

それすらも自分で選ぶ選択肢になる。

 

世の中には、本当に不思議な力が働いている。

坂本龍馬未来人説も、こじつけかもしれないが、そういう話だったりするわけだ。

 

過去の偉人が、綺麗に物事を成してくれたから、今の世界、今の日本がある。

今の自分達がいる。

この今の当たり前ってのは、とんでもない努力もあり、不思議な力によるものだ。

 

…まあ、それが誰かに仕組まれているかもって陰謀説もあるけど。笑

 

やっぱりオカルトは面白い。

これだからやめられない。

 

今回紹介したお話「母ちゃんが台所で料理をしていた」という話は、

次の怪談朗読に収録しようと思っています。

 

本当に面白い話でした。

 

それでは、またお会いしましょう。

 

JoYん人のこだまでした。

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