人は、誰もが何かしらの”信者”であると思った話。

昔から、”信者”という言葉や、”何らかの信者である人”が嫌いだった。

 

そもそもが盲目的だし、何よりこちらにそれを強要してくる人もいる。

 

とある宗教団体が悪名を馳せた過去を通ってきたこともあり、

きっとそれが原因なんだと、今更ながら思う。

 

 

さて、一行目に書いたとおりだが、

「嫌いだった」という言葉にある通り、過去形である。

 

いや、今でも少しくらいは偏見があるかもしれない。

 

それは多分、自分に興味のないものであることが多い。

 

 

”人はそれぞれ価値観が違う”ということを受け入れきれない、

幼い自分の小さなプライドが、それを許さなかったのだろう。

 

こう思ったのも、先日あったレペゼン地球のドームライブにて思ったことだ。

 

何度も何度も周りに言い続けているように、俺はレペゼン地球のファンである。

 

盲信しているつもりはない。

 

だが、ある意味周りから見たら、それは信者的なものである。

(俺の場合、聴いたことのない楽曲も10曲くらいある)

 

 

俺は自分の目で見て、耳で聞いて、歌詞を知って、

この人達はカッコいい!!

という気持ちになったし、それを周りに伝えもした。

 

それに応じて、音楽まで聴いてくれた人、

有名な40分動画だけを観た人、おもしろ動画を好きになった人、

全部を好きになった人、様々だ。

 

俺はレペゼン地球を、そしてDJ社長の生き様が好きで、

それをできれば、自分の好きなみんなに伝えたいと思った。

 

心酔していた。

だから俺は完全に信者なんだと思う。

 

昔、レペゼン地球のことを後輩に教えてもらった時、

「こいつらの何がいいんや」と思った。

 

少しして、いつの間にか好きになって、

「レペゼン地球いいよ」と周りに言うと

 

「あんなパリピのどこがいいの?」

と言われ、少しモヤッとしていた。

 

本当にいいのに、

一回観てくれたらわかるのに…

 

…ただ、自分はその周りの言葉に耳を傾けていただろうか。

 

人は誰しもが価値観は違う。

 

違うはずの人間に押し付けはしなかった。

 

それぞれ違うはずの人が、満場一致で好きなになるものなんてありえない。

 

世の中には「みんなに好かれてる人が嫌い」という人もいる。

 

だけど、そんな人でも好きなものはある。

 

 

もちろん俺が尊敬しているDJ社長だって、

好きな人がいるかもしれないし、崇拝している人もいるかもしれない。

いたかもしれない。

 

もしいなくても、

DJ社長は圧倒的に「自分信者」であるということ。

(そう見えているだけなのかもしれないけど、便宜上そうしておく)

 

「世界一になりたい」という思考の信者であるということ。

 

つまりここにも、信者であるという話は成立する。

 

誰にだって、あるはずだ。

 

 

だけど、少し前までの俺は、

そこにあるのは、きっと「愛」だったり、

「好き」という感情だけだ、と思っていたんだよね。

 

 

例えば、先日飲みの席で、

ふと自分で放った言葉に、自分で頭を抱えた。

 

俺はシャンプーにこだわっているんだけど

(とはいっても、いいものを使えているわけではない)

 

だけど、歯ブラシって、どこのメーカーを使っているのか?

きちんとはっきり答えれる人ってどのくらいいるんだろうか?

 

デンター?ライオン?

調べてみるといろんな歯ブラシの製造メーカーは出てくる。

 

お風呂場にも歯ブラシを置いてるんだけど、それは山切りカットなのか?

山切りじゃないやつなのか?どっちだ?

 

10000%の自信を持って

「私は〇〇というメーカーの△△っていう歯ブラシを使ってる!」

 

と言える人は、どれだけいるのだろうか。

 

例にしてみれば歯ブラシだったけど、

自分が普段使っている食用油とか、

普段使っているティッシュが完璧にどこのメーカーか答えれるだろうか?

 

これは知らず知らずのうちに、

ほとんどの人が盲目的な信者と化している…と思ったわけだ。

 

しかもそこに執念や愛がない。

 

何となくで培った、何となくの選択で、何となく常日頃使っている…

これもある意味、「なんでもいいや」みたいな宗教で、信者的な思考とも言える。

 

 

無意識化で信者のような立場になっていると、見落としてしまうものが多いと思ったのだ。

 

それは昔、

丁寧な言葉でしか歌詞を書いちゃダメだと思い込んでいた自分のようだ。(おかげで今もそこから抜け出せずにいる)

 

もちろん偏見とかもあっていいと思う。

 

それがダメっていう話をしたいわけじゃない。

 

人は、誰だって何らかの信者であるわけだから、

「信者は気持ち悪い」とか「〇〇信者だから」みたいな言葉を使うのは、

 

自分の視野を狭めているんだなあ、と何となくながらに痛感したわけだ。

 

別に、何の信者だっていいじゃないか。

 

人は皆が皆、違うものなのだから。

 

一番もったいないのは、排他的になってしまうこと。

 

自分の成長に繋がらない。

 

あえて、知らないものに飛び込んでみるのもいいことなのかもしれない。

 

そんな風に思った話でした。

 

f:id:joinchu:20210104193648j:plain