新型コロナウイルスによって浮き彫りになる社会の奴隷システム

 

お久しぶりでございます。

 

最近はTwitterの活動すらろくにやっておらず、

本当にYouTubeだったりもやる気あるのか?

と思われても仕方のない活動内容です。

 

でも特に腐ってたわけでもなく、

それなりにやらなきゃいけないことは消化しつつ、今に至るという感じ。

 

もちろん、相方にもよく構ってもらってます。

 

 

さて、話は変わるけど、

ここ最近体調が悪かった。

 

と言っても、この記事を書いてる今現在も調子は悪いんだけど。

 

やれコロナだ、新型ウイルスだ、と世の中が叫び始めて数年。

まさかここまで長引くとは思ってた人もいなかったと思う。

 

陰謀論だとかなんだとかも、

ネットが発達した現代じゃ様々なディスカッションが繰り広げられてる。

 

ちなみに、俺はコロナというものに関しては半々の意見として見てる。

 

ネット上の言葉を借りるなら、

「ガチのヤバいウイルス」「コロナウイルスなんて本当は存在しない」の半々だ。

 

どちらの意見もわからんじゃないから、あくまで中立的な考えでいる。

どちらにも頷ける。

 

ただ今回語りたいのは、俺がコロナに対してどう思っているかどうか、とかではない。

 

 

上で書いた通り、俺はコロナウイルスについては半々の気持ちで、

自分がかかって出てる症状もコロナとは思っていない。

 

もちろんコロナであろうとなかろうと、

誰かに移したりしたいわけではないので、

外には出ないようにしているわけだけども。

 

普段から風邪とかにはかからない俺でも、

今回の症状が人生上でも結構しんどい部類に入るものだった。

 

熱を計ろうにも頭がグワングワンして、まともな思考回路でいられない。

体温計を探せない。

寒気も止まらない、関節が痛い、頭痛からの歯痛、喉が痛い…

 

これらの症状のほとんどが、MAX数値で押し寄せてきた感じだった。

2日間ほど、寝る→起きる→寝るを繰り返し、合間にご飯を食べる。

 

ちなみに昔、

「病気の治りが遅いのは食欲がなくて、栄養を摂取できないから」

と聞いたことがあって、

 

食欲がある時は、ガッツリとご飯を食べたほうが治りが早いのを、

個人的には体感している。

 

今回も幸い食欲はあったので、なるべく栄養やタンパク質は摂れるように心がけた。

 

ただそれでも今回は、

「俺、本当に◯ぬんじゃない?」と少しヒヤッとした。

 

いや、でも今回話したいのはそういうことじゃないのよ。

 

俺って、今は週に1〜2日くらい飲食店でバイトしてんのね。

 

で、別にお金がどうこうってより、

バイト先のみんなが好きで、普通に面白いから働いてる感じ。

 

でも慣れてきたのもあって、だいぶ接客にきついイメージは湧いてきた。

お酒を浴びるように飲む人に対しては本当に思う。

 

「コロナ禍がどうこう」とか言ってるくせに、大人数での飲み会には参加。

夜の街やカラオケには入り浸って、予防も何もあったもんじゃない。

 

いや、別に俺は上で言った通り半々で見てるから、

別にそれがどうしてもダメなこと、とまでは批判しない。

 

今回俺が言いたいのは、もし俺のこの症状がコロナだったとしたら、

そういうアホどもに移されたかもしれない、

という可能性が拭えないということに気づいたことだ。

 

俺は接客業しかしたことがなくて、

それは単に工場とかのループ作業が苦手だからだ。

会話もないとか余計にしんどい。

 

だから、接客業ばかり選んできた。

 

でもコロナというものが、真実にせよ、概念にせよ、

世の中に出てきてから、世界は変わったはずなのよ。

働き方も、人それぞれの考え方も。

 

それなのにアナログに働かされ続ける仕事といえば、

在宅ワークに切り替えれない職業である。

 

世の中に娯楽が溢れている限り、他より苦労をする業種があるのは分かるし、

自分でそれを選んでいるのも事実だ。

 

そこに関して、時給や給料が安いとかは嘆かない。

選んでいるのは自分だし、そこに納得して働いているから、

文句を言うのはお門違い。

 

だけど「俺、これ◯ぬんじゃね?」

とまで一瞬思ってしまうほどに追い詰められてしまうのであれば、ちょっと違う。

 

あくまで安心安全は最低限に、守られているべきだと思うんだ。

 

もちろんそれを選べる立場にないとか、

その立場になろうとしなかった自分の怠慢でもある。

 

だけど、それでも働かなきゃいけないの?って。

自分がこんな症状にならなければ、思わなかったことだ。

 

俺はもともと体調が悪くても、仕事やバイトを休むようなことは基本的にしない。

 

今回もコロナとは思ってないけど、

バイト先の人に同じ症状出たら嫌だなってのは思った。

マジでめちゃくちゃキツいから。

 

で、ふと思ったのよね。

汗水たらして、粉骨砕身働いて、病気になって、自分の体がどうにかなっても、

世の中は責任をとってなんてくれないんだ。

 

俺がこのまま自分の部屋で野垂れ◯んでしまったら、

誰も気づかれないまま腐っていくんだろうな、と。

 

そう考えていると

「もしかしたら自分もコロナかも?」とすら思ってない、

もし思ってても飲み歩くようなアホのせいで、こんなふうになったんだったら、

さすがにムカついてきたわけだ。

 

これが奴隷大国、日本である。

 

今まで、何となくだけど、何となくだから見て見ぬ振りをしてきた。

だけど、あからさまに公平じゃない状況がきてるのだ、と実感するに至った。

 

まぁ、別にバイトの時給とかを生活のメインにしているわけではないから、

辞めるのでもいいんだけど。

人との交流はとっていたいから、一応バイトしてる感じだし。

 

だけど、俺以外ならどうなんだろうか。

 

俺はそれでいいけど、

これでしか働けないとか、これしかできないとかって人もたくさんいる。

 

その場所が、まさに奴隷のような環境だったとしても。

 

世の中に奴隷システムになっている仕事はたくさんある。

 

自分で選んでいるなら最低限は仕方ないけど、

そこに気づくべきであって、対策を練っていかないと、

これから先の日本ではそもそも生きていけなくなると思う。

 

少なくとも何も考えてないようなアホに、

そんなアホと同じ菌を移されるような仕事なんてごめんだ、と思ったわけ。

◯んでからじゃ元も子もない。

 

これから先は、もっと自分のこと大事にしていかないと。

 

いつまで生きていられるか分からないんだから、

コロナなんかで◯ぬとか、アホ過ぎる。

 

俺も何か自分を大きく変える時が来ているようだ。

 

奴隷システムからは、抜け出さないとね。

 

 

Amwayから逃げ出した話。

唐突だが、タイトルの通りだ。

 

「皆、Amwayって知ってる?」

 

知らない人もいれば、やった上で批判する人、

やらないままで批判する人、どうでもいい人…

 

他にも色んな人がいると思う。

Amwayについて良くも悪くも興味がある人は、読んどいて損はないはず。

そんな感じの記事。

 

まあなんていうか、ただの自己満なんだけどね。

書き記すことで、俺の気を晴らしたいという意味も込めて。

 

Twitterでもつぶやいたが、今から一ヶ月前に

「しばらく動画の編集ができなくなる」

という内容の動画をYouTubeに投稿した。

 

youtu.be

 

とりあえずこの件について、ブログではしっかり書いとこうと思った。

 

この時がなんだかんだ自分の中の葛藤というか、考えてることが多くて、

病むとかそんなんじゃないけど、頭の中でぐるぐると回ってたんだ。

 

そして自分なりに思い立って行動に移したから、

一度区切りをつけるつもりで事実上の活動休止宣言をした。

 

 

それでは時系列に書いていこう。

 

去年の終わり頃の話だ。(ちょうど自分のYouTube活動が停滞してた時らへん)

 

近所の飲み屋さんで仲良くなった2人に、

「2週間後に飲みのイベントがあるんだけど来ない?」と誘われた。

 

まあこれがいわゆるAmwayの人が主宰しているイベントで、

その場所で人脈を広げて、

新規で連れてきた人にその場が楽しいと思ってもらう、とか

その場にいる自分や空間が特別なものと思ってもらう、みたいな感じのやつ。

 

ちなみに上で仲良くなった2人と書いたが、

うちの1人はそれなりにAmwayアンチの人だと後で聞いた。

 

俺は、そこで出会ったある人に、

自分が描いていた未来の自分理想図のような憧れを抱いた。

 

”完全なる自由人”

一言で言えば、まさにそれだった。

俺が「こうなりたい」と思っているような人が、目の前にいたのだ。

 

そりゃもう憧れる。

案の定、憧れてしまったのよ。

 

その週にまた別の企画に誘われ、それにも参加し…

2週間後くらいにAmwayの説明を受けた。

 

俺は最初Amway

「Amw」まで聞いて、

 

『うわ、マジか…』

『ヤバいものに勧誘される』と、負の感情を抱いた。

 

でも、それを説明しているのは、

少なくとも俺が憧れた人(ちなみに結構すごい人)だったわけで、

きっと何かしらの意味があるのだと、思おうとした。

 

そして心の中の自分が、自分に問う。

「お前はなぜ、

 Amwayと聞いてマイナスイメージなんだ?」と。

 

 

俺は頭で思い返していた。

 

そう、あれは中学2年の頃…いや、中学3年だったかもしれない。

たぶん1年じゃなかった。

うん、たぶん2年…?か3年の頃。

 

同じクラスにS君というやつがいた。

彼は特に目立つ方でも、目立たない方でもない。

いや、逆にあんまり話したことがないから知らん。

 

とある体育の授業中、

俺のKという悪友(今でも仲のいい珍しいやつ)がそんなS君を見ながら、

「あいつんち、Amwayやけんね」

とヒソヒソ耳打ちしてきた。

 

俺は「え、マジか…」と何となく、ヤバいものを知ったかのように口裏を合わせた。

実際には当時Amwayなんて聞いたことなんてなかったが、

 

その時のKの目が、結構本気で引いてた感じだったので、

単純にヤバいものなんだ

と思ったのが始まりで、

それ以降はAmwayなんて噂くらいでしか聞いたことすらなかった。

 

それを一瞬で思い出す俺。

 

…あれ?待てよ。

 

俺、いつも自分自身が

「知らないものを批判するのはダメ」

ってよく言ってない?

 

見も聞きもしないで、

「あれはダメこれはダメ」って言う大人になりたくないんだよね

 

とか

 

嫌いなバンドや歌手がいても、曲までは嫌いになったりしない

 

とか


その歌手が嫌いでも、その歌まで嫌いになるのは違う気がする

 

とか、カッコつけて言ってないっけ?

 

Amwayだからって、

自分の勝手なイメージで何も知ろうともしないまま、

真っ先に否定しようとしていないか?

 

…ああ、俺はなんて恥ずかしいやつなんだ、

音楽の話にかこつけて、あんなにカッコつけてるくせに、

なんて都合のいいヤツなんだ…!

 

 

ふいに、現実の会話に引き戻される。

 

憧れたその人が

「聞いてみてどう?あ。Amwayって知ってる?」

と俺に聞いてきている。

 

知ってます、と俺は素直にそう答えた。

「どんなイメージがある?」

と再び聞かれ、咄嗟に返事を返した。

 

『さっきまで悪いイメージありましたけど、

 冷静に考えてみたら、何が悪いのか聞いたことないし、

 本当にわかんないっす。』

 

さっきの脳内のまま、答えてしまった。

本当に心から出た言葉だったから、脳内で変換もしていなかった。

 

しまった、機嫌を損ねたりしないだろうか。

 

と思ったが、

「何で悪いイメージがあったの?」と聞かれ、

先ほどの中学時代の回想シーンの内容を伝えた。

 

でも、考えれば考えるほどに、Amwayの何が悪いのかが分からない。

だって、知らないんだもの。

 

知らないものを否定するのはおかしい、知らないんだから。

だったら、知ればいいじゃない。

 

「夢ってある?」

 

Amwayの話とは別に、そういう話を振られ、

自分の考えてることや未来予想図なんかを語った。

 

自分の夢を叶えられる方法は、そう多くない。

他にあるかもしれないけど、

方法なんて知らない人が多いよね。

 

知ってるなら、それをやればいいだけだけど。

でもその夢は、Amwayでも叶えることができるよ。

 

こんな感じのことを、実際にそうなっている人が目の前で言うのだ。

 

さらには、Amwayで大成功してる人の動画とかもあって、

それを見せられる。

 

俺の心は、完全に火がついた。

 

いやもう、これしかないだろ、

むしろこれやらないとか、アンチって馬鹿だろ

そんなふうにさえ思った。

 

…しかし、なぜかすぐにはAmwayに入会させてくれない。

これは後に仲良くなったAmwayの人も言ってたから、大体の人にそうなんだと思う。

 

個人的には、興味を最高点まで持っていかせるために、

焦らさせる作戦なんだと思っている。

マジで知らんけど。

 

ちなみに俺も勘違いしてたし、他の人にも勘違いされがちだが、

Amwayに会員登録すること、

そしてその会員の年会費には、お金は一切かからない。

そして招待制オンリーである。

 

お金がかかるのは、それをビジネスとして扱う人のみである。(※ビジネスオーナー)

年会費が3600円くらい?だった気がする。

もし辞めるとしたら、その辞めた年度の年会費は返金されるらしい。

 

上でも書いたが、これでもやってない人の方が多いってのは、

やっぱりよくわからなかったから、すぐに聞いてみた。

 

確かにアンチが増えるのも頷ける話だった。

 

いろんなやり方、売り方をする人がいるのも事実で、

過去に押し売りのようなやり方をしてた人が多かったこと。

 

そして、そもそも商品を届けてくれる「通販」という売り方やポイント制、

さらには会員制のようなものが、

 

Amwayが作られた当時の世界にほとんど存在しなかったことで

理解できない人も多く、

"怪しいもの"だと勘違いされたことが理由だと説明された。

 

広告費を使わずに、商品開発にお金を回す。

中間にある広告代理店とかを挟まないし、

企業のイメージアップを図るCMなんかも打たない。

 

そこで従来の企業が使っているであろうイメージアップに使うお金や、

会社が利益を得るために使うお金が、

ビジネスオーナーに支払われるという仕組みだ。

(ここに関しては、実際紹介料みたいのの捉え方にもよるかも。)

 

まさに俺の好きなサイ○リヤや、ち○れのような心意気。

完全に俺は、Amwayに惚れた。

 

その数日後、俺はやっとAmwayに登録させてもらえた。

そして、言われたことは「とにかく人に会う」だった。

 

それを聞いた俺は

「よし!とにかくLINEに入ってる人全員に送ってみよう」と思うわけね。

 

チョロい、チョロすぎるぜ…人生!

こんなんで金持ちになれるなんてw

 

たけど「人に会う」と言われてもよく分からない。

会ったからって何をしたらいいんだ?

 

Amwayっていいよ」って言えばいいのか?

そんなの絶対聞いてくれないじゃん?俺なら聞かない。

 

でも書きながら今考えてみたら、

こういう時にしっかりと向き合って

疑問を潰していってなかった自分にも、原因があると思う。

 

 

そして2週間の時が経った。

 

俺は誰にも会ってない。

会えてすらない。

 

会って、何をどうしたらいいか分からなかったからだ。

 

その間にも、週に2回ほどあるセミナーは

「"絶対"に参加したほうがいい」みたいに言われ、

ほとんどのセミナーに参加した。

 

このセミナーがなかなかにくせ者で、

一回あたり2時間ほど、1000〜1500円の参加費用がかかる。

結構、いい飯が食える金額だ。

そしてそれなりにいい動画が撮れる時間だ。

 

週2であると計算したら、安くて月8000円。

それにミーティングとか言うのも月に2回あって、1回500円くらいかかる。

 

さらには、

商品を売るためには、

自分がそれを知ってなきゃ勧めれないから、

ある程度の商品は買っておいたがいい。

とか言われて、商品を買ったりする。

 

 

お金、なくなるっす。

 

 

でもここに関して言えば、

間違いなく「商品はいいものだ」と言えるけど、

当たり外れはあると思う。

 

あ、今更になったが、商品の当たり外れはあるとはいえ、

Amwayという、その海外発の会社自体は悪いものでないとは思う。

 

今回の記事は「それで蔓延ってる一部の人間たち

との奮闘記みたいなもの。

 

そもそも海外のAmwayという大元の会社の基盤というものは、

実にしっかりしてると思う。

 

ビジネスオーナーが製品を売ったり、

Amwayの素晴らしさ(笑)を伝えていく時に、

大元がしっかりしてないと売れないわけで。

 

だから、Amwayの製品は最低限の品質ではある…と思う。

少ししか製品使ってはないけど、好きなのはある。

 

好み、そして感覚ってのは、

個人差があるから一概には言えないけど。

 

 

さて、話を戻すと、

やっぱりセミナーとか、ミーティングは自分的にネックだった。

 

正直セミナーに関しては、毎回ではないけど、

そこらへんの自己啓発書とかに書いてあることを掘り下げてくれるってイメージ(※あくまでイメージ)で、

 

確かに金額はそこそこするのだが、人によっては満足感は得られるかも。

(そのお金で飯食っても満足感は得られるけど)

 

しかし、逆を言うとそこがまた問題で、

自己啓発書を読んで変わった気になっても、

人間なんて、翌日には元に戻るわけね。

 

昔、夢を叶えるゾウって水野敬也の本でも

 

「読んだだけで結局変わった気になって、

 行動しないから元に戻って、

 別の自己啓発本買って、

 また行動しないからまた元に戻って…

 の繰り返しだから、

 似たような本が部屋に積まれていく」

 

みたいなシーンがあった気がする。

 

そうなんだよね。

 

結局、変わるヤツは一冊読むとか、

読まんでも変わるから、

一番やばいのは自己啓発書マニアなんだよ。

 

自己啓発書を読まないやつより、

読んで変わった気になってるヤツのがヤバい。

 

変わることより、言葉にばっかり注力して、

本の言葉たちを何も理解してないんだよね。

何も変われない。

 

つまり、このセミナーに参加して変わった気になっても、翌日には元通り。

 

そう、俺のこと。

 

だから最初の俺は、そのセミナーで思った。

「頑張ろう」って。

 

俺、Amwayで生きていくんだ、って。

(フォローでも何でもないんだけど、

実際にこちらを搾取目的に見てる人は、あんまりいないと思う。)

 

誰に批判されてもいいや、って思った。

そんで、何人かに声かけた。

 

でもね、さっきも言ったんだけど、

やっぱよく分かってなかったんだ(笑)

 

だって、相手に夢がどうちゃら…って俺が聞いても分かんないし。

俺、今現在すごい人間ってわけじゃないし。

 

で、そう思ってることを教えてくれた人に話したら、

「会わせてくれたら手伝える」と。

 

まあ、会わせるくらいならどうにかできるんじゃないか?って。

分かりましたって返事をして、そういう機会を設けてもらって。

 

というより何より、

この時はAmwayがすごいとかじゃなくて、

こんなすげぇ人がいるんだよ、話を聞いて損はない!

みたいな感覚だったのよね。

 

でもね、

やっぱよく分かってなかったんだ。

 

そもそもAmwayについてが、よく分かってなかったし。

ここは単純に、自分がやっとくべき勉強をサボったってのがある)

 ↑でも興味がないと勉強ってやりたいわけないよね。

 

だから、その誘い方とかも曖昧で、個人的にAmwayは悪いものじゃない!

と実感してたんだけど、

そしたらなおのこと、俺には理解できないことがあった。

 

だって、

本当にいいものなら、

何でそういうやり口で勧めるんだろう?

って思うじゃん。

 

この疑問が浮かんでしまってから、

 俺がAmwayを始めたきっかけに暗雲が少しだけ見えてきた。

 

最初のきっかけである、あの「飲みイベント」が、

仕組まれたもののように思えてきたのだ。(ちなみに仕組まれてる)

 

でも同時に思ったのは、最初なんて特にだけど、

Amwayの悪評も知ってた上でそれを人に伝えるんだから、

 

自分がAmwayの話をした相手が、

嫌な気分になるかもってのは容易に想像がつくよね。

 

だからこそ、Amwayと聞いていきなり縁を切らない人だと相手を信用して、

Amway」の話をみんなやってるんだろうなって。

 

Amway」と聞いただけで頭ごなしに否定する人ってのは、

たぶん本当に何も知らないで、何となく嫌いなんだと思う。

 

実際にやってた人だったとしたら、

批判まではいかなくても言い方とかあるだろうし、

たぶん罵声を浴びせてきた人は、

マジでやったことない人だとしか思えない。

 

まあ上記に関しては、Amwayに限らずだけど

いつも文句言うのは、やったことないやつ

って何にでも当てはまるよね。

 

それから俺は相変わらず何の動きもなく、一ヶ月が過ぎた。

 

怒られるってことはないが、

俺のここまでの行動は、

他の皆にはやる気がないように映っていたように思う。

 

セミナーにはほとんど行っていたし、自分なりには勉強もした。

一応だが、普段連絡を取らない人にも連絡をして、

とりあえず今度お茶でも〜…って話をしてたりした。(結局会わなかった)

 

だけど俺がそもそも本気でやっていたのはYouTubeで、

俺はYouTubeをやりたかったんだ。

 

相方とバカをやっているのも楽しいし、

怪談を朗読しているのも楽しい。

 

だから、セミナーやミーティングの時間すら煩わしかった。

Amwayに関わる時間で、もっと動画編集も撮影もできたと考えるようになってた。

 

だって、動画編集ってマジで時間かかるわけよ?

俺には動画以外のことをやってる暇なんてないと思ってきたわけよ。

YouTubeで生きていきたいと思ってるんだから。

 

やりたくないことのために使う時間はない。

このままだと、YouTubeが本気でやれなくなる。

 

同じグループの人達と顔を合わせるのが少しずつ苦痛になっていった。

 

それでも一応は、自分自身の選択で携わっているビジネスである。

 

いきなり消えるわけにもいかず、

また、その縁を自分から切るのももったいない気がして、

結局の所どっちつかずの行動をしていたように思う。

 

しかし、このタイミングでもう一つ気づいたことがあった。

 

俺が尊敬してやまない人は、確かに自由な人だった。

それは目の当たりにしたから分かってる。

 

そして、その人がもっと上を目指したいと決めて、

自由を少しずつ消費し始めたのも分かった。

 

収入的にも、人間的にもそれがいいからだろう。

だが、俺は思った。

 

俺が描いてる未来って、本当にこれか?

 

自由も正義も、絶対的なものではなく、相対的なものだ。

人によって、自由の価値も意味も変わる。

 

だとしたら、

Amwayの言う「自由」とやらは少し俺には違う。

 

Amwayを疑いこそしなかったが、

自分の求めてるもの、考えてることとはベクトルが違うかもしれない。

 

冷めてはないが、熱することはできなくなっていた。

 

 

それから少しして、俺がAmwayを始めるきっかけになった

例の「飲みのイベント」がまたやってきた。

 

今度は、俺が誘う側だった。

 

本当に何となくだが、

この時俺は、Amwayとしてではなく、

しばらく一緒に酒を飲んでいない男友達を、呑み友達として誘った。

 

とはいえ、確かに少しAmway側としての下心もあったのかもしれない。

 

少し前まではよく一緒に飲んでいたけど、

半年くらい会ってなかったし、飲みのイベントだから、

せめてAmwayじゃなくても

あいつと一緒に飲みたいなーって思ったからの誘いだった。

 

 

俺が憧れてた人に友人を会わせると、

友人もあの時の俺と同じように、目を輝かせていた。

 

きっと、彼も俺と同じようなものなんだろう。

 

その時自分に言い聞かせるように、

Amwayは本当にすごいものだから…」

と思いもしたが、

 

心の奥で、不安に思っていた。

「もしかしたら、

こいつと友達でなくなってしまうんじゃないか」

 

Amwayを話したから嫌われるかもしれないし、

たとえば逆に、友人がAmwayを始めたとしたら、

 

それだと友達というより、仕事仲間だ。

仕事での関わりにしたいわけじゃなかった。

 

 

その後、友人は友人で色んな人と話をしていて

俺は俺で、また別の人と談笑をしていた。

 

俺はちょうどこの時、

もうひとり別枠で呼んでいた知人がいて、その人と目が合った。

 

俺は何となくその目で、助けを呼ばれている気がして、

気を遣って話しかけに行ったのだが、それがどうもよくなかったらしい。

 

飲み会が終わってから呼ばれたので、そこに行ってみると

「お前酔い過ぎ」と、別に酔ってもないのに言われる。

 

本当に酔ってなかったし、意味は分かっていなかったが、

どうやら他の人(Amway側)からすると、

あまり良くないことをしてしまったらしい。

 

まあ、でも言われてみたら俺が悪かったのだろう、

と少し放心した心で考える。

 

そしたら、次から間違えないようにしよう、と、

少し夜風に当たりたくて外に出た。

 

友人には先に帰っていいと言っていたが、友人は外で待っていた。

少し泣きそうになった。

飲み足りないらしい。

「酔ってないでしょ?お互い。」

友人がそう言った。

 

自分の感情がよくわからなかった。

俺は悲しいのか、悔しいのか、怒ってるのか。

 

「飲み足りないなら、一緒にどっかで飲んで帰ろう」と友人は言った。

それくらいに、俺も友人も酔ってなんかいなかった。

 

少し酔ったくらいじゃ、何か泣きそうな顔をごまかせない。

少し発散したくらいじゃ、さっきのダメージを隠せない。

 

そう考えたら何となく、本当に何となく

相方に会いたくなった。

 

一番自分がバカになれると思った。

 

友人も紹介したかったから相方を呼んで、

相方がよく行くというダーツバーに一緒に行った。

 

相方に「友達のTくんだよ。」って紹介したら、

『こだま氏、友達いたんやねw』と。

 

そう言われるくらいには、友達が少ないのが俺だった。

だけど、だからこそ大切な友達だったのだ。

 

友人は帰って、相方と2人で飲みに行って、

何となくそこで語っていた。

 

先ほどの、悲しいやら悔しいやら何かよく分からなかった感情を隠すように、

 

「俺は、YouTubeで生きていきたい、

 俺は、sぽWorldで天下を取りたい。」

と、酔った勢いで何度も喋っていた。

 

 …今思えば何となくだが、

半覚醒状態での刷り込みのようなものもあったかもしれない。

 

俺の中では、もうAmwayという言葉が、

思考から半分くらいは消えていた。

 

そして、もう半分を落っことしたのは、

それから半月ほど経って、2年ぶりに実家に帰ってからだった。

 

それくらいには何となく弟や、

親にAmwayを伝えたいと思ってるくらいには、

別にAmwayに悪い印象はない。

 

それはやっぱり、身内なら言いやすそう。

っていう慢心的な気持ちと、実際にそれなりにいいものだから、

と思っていたからだ。

 

しかしなかなか家族とのタイミングは合わず、

結局何も伝えることはできなかった。

いや、これも言い訳か。

弟とは二日くらいずっと喋ってたし。

 

帰りの日、実家から出て1人で歩く懐かしい道。

福岡までの帰り道。

 

歩きながら、

結局俺は何がしたいのか考えていた。

 

 

家に着くまで見ていなかったLINEを見ると、

AmwayのグループLINEには打ち合わせ打ち合わせ打ち合わせ打ち合わせ…

何通も溜まっていた。

 

数字を見た時、

俺の中で何かがプツンと切れた。

 

相手には分からないと思うし、分かってほしくもなかったけど、

仕事も動画編集のせいにするつもりもないけど、

 

俺はそもそもやってることが多すぎて、

YouTubeをやりたい以上、Amwayに関わっている暇なんてどこにもない。

 

俺には、同じ空気は吸えない。

関わり合いになりたくない。

このままじゃYouTubeを犠牲にしてしまう。

 

これで、残り半分が吹き飛んだ。

きっと何か疲れてた。

 

いや、そもそも他のAmwayの人と違って熱が足りなかったんだと思う。

理解してなかったってのもある。

 

俺は、正直YouTubeで生きていきたかったし、

YouTubeに絞らずとも相方と楽しいことを形にしていきたかった。

 

その時間さえギリギリで作れなくなる。

 

今思い返せば、

去年末のYouTubeの投稿ができなかったことにも、関わっている。

 

 

Amwayで最初の2年を本気で頑張れば…

 

とかなんとか最初に言われたけども、

それは俺の中のYouTubeでも同じことで。

 

この1年間頑張ってきたものを、急に無下にすることはできない。

俺はフリージャと一緒に面白い世界を作っていきたいんだ、って。

 

Amwayを2年本気で頑張った結果、

YouTubeが疎かになるなら、俺はAmwayを捨てる。

 

そもそも俺が選ぶ人生だ。

 

これから先のYouTubeがオワコンかどうかを決めるのは、

Amwayじゃない。

 

俺がやりたいことをやる、やりたいからやる、それだけだ。

 

そう思った瞬間、

今までのAmwayでの交流たちがフラッシュバックして、

とても気持ちの悪いものに思えてきた。

 

頭の中に反復する言葉…、何かずっと感じていた違和感。

 

自由や、友達や仲間については、

Amwayではよく言われていたことで、

本当に素晴らしい仲間ができるとか何たら…

 

Amwayと聞いて縁を切るような友達、

 辞めさせようとする友達は本当に友達か?」

 

あの日の俺は、

それは本当の友達じゃないかも、と思った。

 

…今になれば、それも友達だろって今思う。

そいつの言うこと聞く聞かんは別として、言ってくれるのも友達だからだ。

 

俺は、逆に聞いてみたい。

 

Amway辞めたら関わりがなくなるような関係、

そんなのが本当に友達か?仲間か?

 

この上の言葉が頭によぎってから、腹が立ってきた。

 そういうことを頭に根付かせてくるから、

世の中からおかしいって言われてんだろって。

 

確かにAmwayが言うように、この世の中に馬鹿は多い。

垂れ流しのメディアに踊らされてるばかりでな。

 

だけど、あんたらが思ってるほど、

馬鹿すぎることもないとも思う。

 

一度、身に染めてみて、分かったよ。

いろんなものが見えた。

ありがとう。

 

YouTubeがあってもなくても、

きっと相方は相方だし、何も変わらない。

 

悪ふざけしてるけど、

俺らは真剣にYouTubeと向き合ってるんだ。

 

 

これに気づくための布石だったんだな、と思う。

これも感謝。

  

「俺はAmwayからも逃げ出してしまったよ。」

 

落ち込んで相方にそう言った時、

「それは逃げたんじゃなくて、剣を突き立てたってこと」

と言ってくれた。

この言葉は、心の支えになった。

 

長くなったけど、

俺は俺の道を行くという、決意ができたということ。

 

少しの期間だったけど、学べた。

やっぱり知らないことを知るって、いいね。

 

 

あ、ちなみにイベントに誘った友人はその後、

Amwayの話を聞いて偏見はなかったけど、

自分にはできる気がしないから、と断ったそうだ。

 

結構、何にでも自信満々に見えてたけど意外だった。

 

自分がどういう人間で、そこをどう受け入れられないか、

自分の本質を知って受け入れてるように見えた。

Amway風に言えば本当の自分の本質じゃない)←大きなお世話

 

 

今回はそんな話でした。

 

何度も書いてたけど、

これはAmwayという会社そのものへの悪意ではない。

やり方次第なんだと思う。

 

Amwayを真剣にやってる人に

Amwayをやめた方がいいよ」とかは、正直言えない。

 

実際にやってみて、すごいビジネスだと思ったし、

真剣に取り組めば、成功するんだと思う。

 

でも「これしかないんだ」

と視野が狭くなる言い方をしてるのは、やっぱりどうも俺には合わない。

 

「自分の成功を考えるビジネスだから、

常にワクワクしてるはず。

ワクワクしてる?」

 

 そんなふうに言われたけど、

ワクワクできた瞬間なんて最初だけだったよ。

この言葉が、とにかく一番苦痛だった。

 

やりたくないことでワクワクできないし、

やりたくないことを突き詰めたくはない。

 

俺は俺のワクワクできることを見つけてたわけだし、

これからもそれで生きていく。

 

最高の仲間、最高の時間、感動が手に入る。

なんて言われてたけど、

俺から見たら、その仲間とやらも、時間とやらも、感動さえも薄っぺらいもんだった。

 

お前ら、そんなに人生に感動したことないの?

俺、結構感動してきたし、

何なら毎日それなりに感動することあるんだけど。

 

Amwayが自分の中にない時に、心の底から笑い合える友達とかいなかったの?

腹から笑える時間とかなかったの?

俺そういう友達もいたし、今も全然いるんだけど。

 

そういう経験がなかった人がAmwayに縋ってるようにしか見えなかった。

だから、そもそも俺には不要だったのかもしれないな。

俺はそういうの持ってたから。

 

だからここでさようなら、Amwayビジネス。

俺は俺なりに、前に進むよ。

  

 

 

人は、誰もが何かしらの”信者”であると思った話。

昔から、”信者”という言葉や、”何らかの信者である人”が嫌いだった。

 

そもそもが盲目的だし、何よりこちらにそれを強要してくる人もいる。

 

とある宗教団体が悪名を馳せた過去を通ってきたこともあり、

きっとそれが原因なんだと、今更ながら思う。

 

 

さて、一行目に書いたとおりだが、

「嫌いだった」という言葉にある通り、過去形である。

 

いや、今でも少しくらいは偏見があるかもしれない。

 

それは多分、自分に興味のないものであることが多い。

 

 

”人はそれぞれ価値観が違う”ということを受け入れきれない、

幼い自分の小さなプライドが、それを許さなかったのだろう。

 

こう思ったのも、先日あったレペゼン地球のドームライブにて思ったことだ。

 

何度も何度も周りに言い続けているように、俺はレペゼン地球のファンである。

 

盲信しているつもりはない。

 

だが、ある意味周りから見たら、それは信者的なものである。

(俺の場合、聴いたことのない楽曲も10曲くらいある)

 

 

俺は自分の目で見て、耳で聞いて、歌詞を知って、

この人達はカッコいい!!

という気持ちになったし、それを周りに伝えもした。

 

それに応じて、音楽まで聴いてくれた人、

有名な40分動画だけを観た人、おもしろ動画を好きになった人、

全部を好きになった人、様々だ。

 

俺はレペゼン地球を、そしてDJ社長の生き様が好きで、

それをできれば、自分の好きなみんなに伝えたいと思った。

 

心酔していた。

だから俺は完全に信者なんだと思う。

 

昔、レペゼン地球のことを後輩に教えてもらった時、

「こいつらの何がいいんや」と思った。

 

少しして、いつの間にか好きになって、

「レペゼン地球いいよ」と周りに言うと

 

「あんなパリピのどこがいいの?」

と言われ、少しモヤッとしていた。

 

本当にいいのに、

一回観てくれたらわかるのに…

 

…ただ、自分はその周りの言葉に耳を傾けていただろうか。

 

人は誰しもが価値観は違う。

 

違うはずの人間に押し付けはしなかった。

 

それぞれ違うはずの人が、満場一致で好きなになるものなんてありえない。

 

世の中には「みんなに好かれてる人が嫌い」という人もいる。

 

だけど、そんな人でも好きなものはある。

 

 

もちろん俺が尊敬しているDJ社長だって、

好きな人がいるかもしれないし、崇拝している人もいるかもしれない。

いたかもしれない。

 

もしいなくても、

DJ社長は圧倒的に「自分信者」であるということ。

(そう見えているだけなのかもしれないけど、便宜上そうしておく)

 

「世界一になりたい」という思考の信者であるということ。

 

つまりここにも、信者であるという話は成立する。

 

誰にだって、あるはずだ。

 

 

だけど、少し前までの俺は、

そこにあるのは、きっと「愛」だったり、

「好き」という感情だけだ、と思っていたんだよね。

 

 

例えば、先日飲みの席で、

ふと自分で放った言葉に、自分で頭を抱えた。

 

俺はシャンプーにこだわっているんだけど

(とはいっても、いいものを使えているわけではない)

 

だけど、歯ブラシって、どこのメーカーを使っているのか?

きちんとはっきり答えれる人ってどのくらいいるんだろうか?

 

デンター?ライオン?

調べてみるといろんな歯ブラシの製造メーカーは出てくる。

 

お風呂場にも歯ブラシを置いてるんだけど、それは山切りカットなのか?

山切りじゃないやつなのか?どっちだ?

 

10000%の自信を持って

「私は〇〇というメーカーの△△っていう歯ブラシを使ってる!」

 

と言える人は、どれだけいるのだろうか。

 

例にしてみれば歯ブラシだったけど、

自分が普段使っている食用油とか、

普段使っているティッシュが完璧にどこのメーカーか答えれるだろうか?

 

これは知らず知らずのうちに、

ほとんどの人が盲目的な信者と化している…と思ったわけだ。

 

しかもそこに執念や愛がない。

 

何となくで培った、何となくの選択で、何となく常日頃使っている…

これもある意味、「なんでもいいや」みたいな宗教で、信者的な思考とも言える。

 

 

無意識化で信者のような立場になっていると、見落としてしまうものが多いと思ったのだ。

 

それは昔、

丁寧な言葉でしか歌詞を書いちゃダメだと思い込んでいた自分のようだ。(おかげで今もそこから抜け出せずにいる)

 

もちろん偏見とかもあっていいと思う。

 

それがダメっていう話をしたいわけじゃない。

 

人は、誰だって何らかの信者であるわけだから、

「信者は気持ち悪い」とか「〇〇信者だから」みたいな言葉を使うのは、

 

自分の視野を狭めているんだなあ、と何となくながらに痛感したわけだ。

 

別に、何の信者だっていいじゃないか。

 

人は皆が皆、違うものなのだから。

 

一番もったいないのは、排他的になってしまうこと。

 

自分の成長に繋がらない。

 

あえて、知らないものに飛び込んでみるのもいいことなのかもしれない。

 

そんな風に思った話でした。

 

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あなたは、誰かを笑顔にできたか?

どうも、こだまです。

 

久しぶりのブログになります。

 

あと本腰入れて書いてたら、

タイトルの本題がめっちゃ後になりました。

 

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先日の天神ハロウィンについて、

いろいろ思うことがあったので日記風に書き綴ろうと思います。

 

・こだま=冨岡義勇[水柱](鬼滅の刃

・フリージャ=累[下弦の伍](鬼滅の刃

で演じてきました。

 

 

10月31日、最近上手く睡眠が取れなかったけど、

この日は幸いにも4時間寝れた。(最近は1〜2時間が多い)

 

早起きして、怪談朗読用の話を耳で集めながら、食器を洗い…

相方からの連絡を待った。

 

遅い。

遅すぎる…。

 

そう思いながらスマホを見ると、

一時間前に電話がきていた。(常時マナーモードな自分が悪い)

 

相方は、もう待ち合わせ場所についているとのことで、

先に準備して待っているとのこと。

 

タクシーに乗ってダッシュで向かう。

 

ちなみに相方も俺も時間には、ルーズである。

(というか、ここ数年相方を見習ってルーズにしている)

 

2人でメイクだったり、衣装に着替えたりして、いざ天神の街へ。

 

コスプレ衣装の一番しんどいところは、

まともに使える「ポケット」がないところだと思う。

 

スマホも、メイク直し用のパウダーも、目薬も、財布も…

全てが持てない。

 

適当に探すと、カボチャの入れ物があったので、

それに必要最低限の荷物を入れて出発。

 

20時くらいに警固公園についたんだけど、

既に人でごった返していた。

 

ちなみに、去年のハロウィンは全く動けないくらいに人が密集していたので、

去年に比べると7割くらいの人の数だったように思う。

 

少し歩いただけで、声をかけられる。

そして、ひっきりなしに。

 

もちろん「一緒に写真撮ってもらってもいいですか?」だ。

 

断る理由もなく、というか俺も相方も、

撮られに来ているのだから、断るはずがないのだ。

 

…でもね、本当にビックリした。

 

何に驚いたかって、

とんでもなく声をかけられる。

 

いや、予想の100倍くらい。

 

100組…いや、もしかしたらそれ以上に、声をかけられたかもしれない。

 

嬉しくて嬉しくてたまらないことなんだけども、

後半は返事である「どうぞどうぞ^^」って言う声がかすれてた。

 

ちなみにこの日の、こだまのこだわりポイントを書いておく。

  1. ひたすら、冨岡義勇になりきること←全集中
  2. 撮影終わりは「ハッピーハロウィン」と冨岡義勇風に言うこと
  3. 撮影時は刀に手を置き、アゴを引くポージングを徹底すること(笑顔なし)
  4. 小さな子どもとの撮影時は、かがんでピースをする(笑顔)

 

このこだわりが実は何気にしんどかった。

 

俺はこの日早起きをしたので、朝には起きていたのだが、

ご飯を食べたのは昼の12時だった。

 

1の「ひたすら冨岡義勇になりきる」は、特に一番の重荷で、例えば

 

例①

こだま「お腹すいたから、コンビニでおにぎり買おうかな」

こだま「いや、待てよ。コンビニでおにぎり買う冨岡義勇なんて誰が見たい?」

 

例②

知り合い「おお!来てたんだ!チューハイ飲もうぜ!」

こだま「いや、待てよ。公園でチューハイ飲む冨岡義勇なんて誰が見たい?」

 

と、ひたすらストイックになりきる。

 

そして、元々こだまはお喋りである

 

それを封印して、話しかけてくる全ての人に、

冨岡義勇で返事をしなきゃならない。

 

腰につけている刀を、抜こうとしてくる酔っ払いを躱しながら、

「鬼ってのは、こういう人のことを言うんじゃないだろうか…?」なんて思っていた。

 

単純な話、1〜3までは、徹底的に”冨岡義勇”のイメージを崩さないためだ。

 

4に関しては、子供は身長が小さいので、

しゃがんで近くにいてあげたほうが、親近感をわかせやすいかな?

っていうイメージ作りの側面があった。

 

今思えば、しゃがんで刀を握ったほうがよかったかもしれないけど、

そこまで頭が回らんくらいだった。

ごめんな、もっと来年も冨岡義勇を頑張るわ。

 

そして、YouTuberに声をかけられるうちらコンビ。

 

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モザイクするとか言われたっけ?

モザイクなかったら、全然Twitterで公表したんだけどなあ。

 

うちらかどうかがわからないんで、とりあえずスクショした画面を載せることにする。

 

何か個人的にあんまりモザイクって好きじゃなくて。

悪いことしたみたいに見えるから、ちょっと何かなーって。

「顔出ししていいですか?」

って聞いてくれてもよかったんじゃないのかって思ってしまう自分もいた。

 

俺は今回、20〜22時半までと、1時〜3時まで天神の警固公園にいたんだけど、

見かけた鬼滅コスを雑に書くと

 

・炭治郎:たくさん

・ねずこ:7人以上

・善逸:5人くらい

・猪之助:3〜5人くらい

・義勇:5人以上(こだま含む)

・煉獄:5人くらい

・胡蝶:5人以上

・カナヲ:3人くらい

甘露寺:3人くらい?

・累:2人(フリージャ含む)

・姐姐:1人

・鱗滝:1人(たまたま検索して頂けて、Twitterとインスタ繋がりました)

・猗窩座:1人(あれをビニールテープでやってたのは草)

・実弥:1人

・錆人:1人

 

いや、まあ他にもたくさんいたんだろうけど、

俺が見た感じと、うろ覚えの記憶でこんなとこかな。

 

今回すごく思ったことは、鬼滅の刃人気はやっぱすげえ。

言わんくてもわかることだろうけど。

 

あと冨岡義勇って、小さい子たちに結構人気があるみたいなんだけど、

そのほとんどの子に

「とみおかー!」って呼ばれてたのは草。

水柱を呼び捨てかい。w

 

自分でも、他の誰より冨岡義勇だったと思うし、

相方も、他の誰より累だった。

 

時間帯もあったかもしれないけど、

相方といた時の、声のかけられ方は本当にすごくて、

一歩も歩けないってのがまさにあんな感じだった。

 

さも、自分が有名人であるかのように錯覚したよ。

 

それはそうと、やっぱり嬉しかったのは、

後ろから声かけられて、振り向いた時に

 

「え!クオリティ高っ!!」とか

「まんま実写化した見た目ですね」とか

「実際に義勇さんいたらこんな感じなんでしょうね」って

たくさんの人に言われたこと。

あと流れで、同じコスしてる人とかと写真撮る時にも言われて、テンション上がった。

 

あんまりコスプレに寛容的なメンズっていないんだけど

こういうのって、やっぱり相方のフリージャならではの世界観があって、

それを一緒に出せたこと、

それを周りに評価してもらえたことは素直に嬉しかった。

 

 

あ、それで本題ね。(今さら)

 

タイトルの話なんだけど。

 

今回、ハロウィンやってますーみたいに呟いたわけよ。

 

 

俺はもうミュートしちゃってるから見れないんだけど、

やっぱり何をやってもアンチコメントはくるわけで。

 

「こんな時にマスクつけてないバカ発見」

福岡が他の県から馬鹿にされるからやめて」

 

みたいのが数件きた。

 

別にそこに関しては、いいと思うんだ。

個人の意見だし、それをやめろって言えるほど偉くもないしね。

 

まあ、そこはそこ。

で、俺は思ったわけよ。

 

「じゃあマスクつけてない奴全員に、それを言ってくれるんだよな?」って。

 

匿名なのをいいことに、自分は蚊帳の外みたいな考え…

嫌いじゃない!そういうのいいよ!全然人間らしくていいと思う。

 

たまたま見えてしまったものを批判して、何かが変わるものなのだろうか?

 

マスクしてない=絶対悪、みたいな考え方は、そもそも好きじゃない。

 

大事なのは、「なぜダメなのか?」ってのを、自分の言葉で説明できるかどうかなんだよね。

 

もちろん「周りが言ってるから」とか「危険だから」みたいな答えはNOだぜ。

 

それはお前の意見じゃないからな。

 

俺は、お前の見解した意見を聞きたいんだよ。

 

正直、見た感じ半分以上マスクつけてなかったけど。

それ全員に言って回るとか、無理やん。

 

で、そこにも人それぞれの考え方があるんだよね。

それを聞きもせずに否定するのは、一番違うと思う。

 

だから、その理由も「周りが言ってるから」みたいな幼稚な答えはやめてほしい。

 

真剣にぶつかってきてくれるなら、こっちも真剣に返す必要があるけど、

それすらない”サブ垢”での叩きとか、ほんっっっっっっとうに滑稽だし。

 

前澤友作のお金当選企画に、適当に応募してるような人ってことやろ。(これ調べてくれたら本当にそうで草www)

 

何となくで生きてるやつに、俺らのこと邪魔されたくないんだよね。

だからすぐにミュートさせてもらった。

相手にする時間がもったいない。

指差して、笑うなり、批判なりすればいい。

 

 

俺も相方も別に世間に叩かれて笑われて、

後ろ指差されても何とも思わないから、好きに叩いてくださいな。

 

 

それと今回、宝物ができたんだよ。

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みんなにとっては、何でもない冨岡義勇のシールかもしれない。

 

これが今回のハロウィンで、俺の一番の宝物になったものだ。

 

これはとある男の子(4〜5歳くらい?)が、俺のところにモジモジしながら持ってきたものだ。

 

最初、小さな紙っぽいものを渡されて、「?」ってなってる俺の前で、

男の子はまだモジモジしている。(暗くてよく見えなかった)

 

その後ろにいたお父さんらしき人が、ササッと寄ってきて、

 

「ほら、ちゃんと『義勇さんのファンだからこれあげます!』って言わんね笑

 で、一緒に写真撮ってくださいってお願いせんと!笑」

 

俺、泣きそうになったよね。

 

 

こだま「冨岡義勇が好きなの?」

 

男の子「…(コクン)」

 

こだま「ありがとう。一緒に写真、撮ろうか。」←カッコいい

 

まあ、実際はもっと声高かっただろうし、テンション上がってたけど笑

 

この子の真の宝物かもわからない。

考え始めたらきりはない。

単にカードのかぶりかもしれないし、別に推しのキャラもいるのかもしれない。

 

それを考えてもきりがない。

 

でもあの時、冨岡義勇のために一人で勇気を振り絞って、

俺の前に出てきて、シールを差し出した彼の勇気は称賛に値する。

それだけだ。

 

そして、俺の宝物になった。

タイミングもあったかもしれない。

他の冨岡義勇を演じてる人に会わなかっただけかもしれないし、

会ってストックを渡しただけかもしれない。

それでも、これは俺にとって、かけがえのない最高の宝物になった。

 

 

最後に「ありがとうね」ってその子の頭を撫でて、

お父さんとお母さんが「ありがとうございます」って言ってきてくれたけど、

 

こちらこそありがとうございます。って全力で返した。

 

(ただ、あの男の子に、冨岡義勇で全力で返すなら、

下手くそでも最後にモノマネすればよかった。それだけが悔やまれる…。)

 

そして、お父さんに抱えられ、その場を離れる彼を見送った。

ずっと手を振る彼は終始、冨岡義勇を前にして嬉しそうな顔をしていた。

 

 

 

批判する人、そして我関せずの傍観者へ。

あなたは、誰かを笑顔にできたか?

それを自分に問うてほしい。

 

小さな子どもの夢を守れたか?

俺は守った。

飯も食わずに、友に誘われる酒も躱して(アル中)、

キャラに徹したのは、自分のためでも、みんなのためでもある。

 

わかるよ。

その批判が守るものも、もちろんあるのかもしれない。

いや、きっとあるんだと思う。

 

だけど、どんなに叩かれても、

俺はあの子達が笑顔になれるものを生み出したいし、それを守りたい。

 

だから、どんなに叩かれても、綺麗事だと言われても俺は、あんな笑顔を見たい。

笑顔を増やしたい。

 

あなたたちが叩いているだけの小さな未来では、絶対にできないことだ。

もっと視野を広めてほしい。

自分の価値観だけで、世の中を語るだけのバカにはならないでくれ。

 

誹謗中傷の言葉や一方的な正義は、誰かの未来を奪うこともある。

だけどその先にある、みんなの笑顔を奪っているかもしれない、

という自覚は持ってほしい。

 

あなたたちが奪う未来があるのかもしれない、それを考えてほしい。

 

俺達の未来は奪わせないけどね。

 

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いつもどおりのまま。

まえおき

 

昔から、生きることが苦手だった。

 

だからといって、死ぬことを選ぶ勇気もない。

 

生きることにも、死ぬことにもしくじった、そんな自分。

 

生きにくかった。

 

そう言い訳して生きてきた。

 

なんだかんだ今まで生きてきたのは、希望や明るい未来を夢見てた…とかとは違う。

 

死のう死のうと言いながら、死ぬタイミングや、死ぬ環境を見つけることをしなかった。

 

これだけは言いたいが、俺はもうメンヘラではない。

 

昔のように、他人に「死にたい」と言って、視線を集めたいわけではない。

 

今は少なからず、生きていたい。

 

誰かへの感謝とか、生きれなかった人が生きたかった明日なんて、

”綺麗事”を言うつもりはさらさらない。

 

俺は今、誰のためでもなく、俺のために生きていたい。

 

俺の楽しいのために生きていたい、と胸を張って言える。

 

これが、昔の俺との大きな違い。

 

綺麗事で「自分で望んで死ぬなんて間違ってる」と声高に主張してきた、昔の俺とは違う。

 

その過去も間違ってるとは思わないけど。

 

 

久しぶりに話す、地元の友人には「変わったね」なんて言われる。

 

「変わった」というよりかは、「押し込めていた自分に戻ってきている」と言った方が正しいと言える。

 

大人であろうとすること、常識に縛られること、

世間に従属すること、それらを辞めたということ。

 

もちろん、全てに強くいれるわけではない。

 

今でもソワソワするし、凹むこともある。

 

”自由に生きるなんて幻想か?”なんて思うし、

現状に不満を言ったりもする。

 

どこにでもいる、皮肉屋で、自己肯定感の低いただのおっさん。

 

別にそれでもいい。

そう思えたのが一番強い。

 

俺の人生は俺のもので、他人に量れるものではない。

今まで他人のために生きすぎたのだ。

 

もうそろそろ、解放したい。

 

命は、無限ではない。

 

分かっていながら、それを見て見ぬふり、気づいていないふりをしてる。

 

何度心で思っても、言葉にしても、文字にしても、掴めないこの感覚。

 

きっと、この先ずっと、自分が死んでも掴むことはないんだと思う。

 

 

ほんだい

 

俺は去年の7月くらいにYouTubeを始めた。

 

単純に「怪談朗読ならコンスタントに投稿できそう」とか

「怪談好きだし、ずっとやれそう」みたいな感じだった。

 

今でも、怪談朗読は自分が楽しいからやってるところが大きい。

 

そんなことをやってると、意外にも見てくれてる人は、それなりにいるもので。

 

思ったより、視聴回数が伸びないとか、いい反応がもらえない、なんて二の次で、

スパンが空いても投稿し続けることができるのは、

本当に「楽しい」と思っているんだと、何となく思っている。

 

 

この記事を書いている6時間ほど前。

 

相方から連絡がこないので、一人で怪談朗読を録っていて、休憩がてらTwitterを覗いた。

 

そうするとりっきぃさんのツイートが流れてきてた。

 

 

この記事を見たのが、27日の23時53分。

 

朗読を録っていたこともあり、その気持ちを録音しようとして、

マイクの前で話していたけど、頭が追いついていかなくて、

上手く喋れず、結局ブログに書くことにした。

 

(ちなみに、りっきぃさんは俺が怪談朗読を始めるきっかけになった人の一人。)

 

鏡太郎さんは、俺がYouTube始めたての頃に、結構聴いてた朗読家さんで、

他の人と違う喋り方が特徴的だったから、よく覚えてる。

 

たまたま、何らかの繋がりで、俺のツイートにいいねをいただいたことがあって、

その後に、俺の怪談朗読への思いやら何やらを連続ツイートしたのを全部いいねしてくださってたことがあって。

 

それが嬉しくて。

Twitter上でだけど、鏡太郎さんに挨拶したわけね。

(普段俺からそんなことほとんどしないから、それだけ俺も嬉しかった。)

 

その時もすぐに、そしてすごく丁寧に対応してもらえた。

めっちゃいい人で、自分が鏡太郎さんの朗読を聴いてたことを伝えたら、喜んでくれた。

ほんの少しだけど、交流してもらったのね。

 

そんで、時間が経って、何か体調が悪いみたいな…

 

そんなツイート見て。

 

俺は「あ、マジか。大丈夫かな。」って何となく思ったくらいで。

 

ごまだんごさんと、りっきぃさんと一緒にやってたの聴いてて、

「あー、なんかこういうのいいなー」って思って。

 

ちなみに「怪談朗読やろう!」って思ったのは、

ごまだんごさんと、りっきぃさんの動画を聴いてからなんだけどね。

 

今でもごまだんごさんは全ての人にオススメするし、りっきぃさんもそう。

 

ちなみに、鏡太郎さんもオススメすることが多かったから、

俺の周り数人は覚えてて、今回の訃報で、俺が凹んでるのも気にしてくれてた。

 

りっきぃさんがツイートしてくれてなかったら、俺があのタイミングで見なかったら…

知るのはもっと後だったと思う。

 

それを当日ギリギリに知れたってのは、俺にとっては、まだよかったのかもしれない。

 

俺は勝手ながら、せめて同じ朗読家として、YouTubeに「声」で、

ご冥福を…なんて投稿しようとした。(怪談朗読のラストでね)

 

 

正直、録れなかった、声では。

話してたら、泣けてくるというか、頭が追いついてなくて。

 

別に親友とか、友人とか、親戚とか、そういうのでもないのに。

盲信してたとかでもないのに。

 

普段は喋る内容なんて台本がなくとも、それなりに順序とか内容は組み立てていけるのに、

それができなかった。

 

もっと話したかった。

もっと聞きたかった。

 

今になって悔やんでも、遅すぎる。

後悔先に立たずとはよく言ったもので、いつも後悔しかない。

 

どうして、あの人なんだろう、

どうして、あの人だったんだろう。

 

そんなもの、運命なんかで割り切れるわけないよな。

 

 

それでも、いつもどおり、時間が過ぎていく。

そして、今、現在は過去になる。

 

それが悲しい。

俺は、まだ受け入れれない。

 

鏡太郎さんがいる「今」がただ頭の中にあって、

いない、なんて逆に信じられない。

 

もう本当にツイートとかないの?

それがすごく辛いんだけど。

実感したくないんだけど。

 

 

俺自身、大きいことは言えないし、

バトンを貰ったとかもないけど、

何となく、俺はまだまだ終わるわけにはいかないな、って。

 

少し、胸が苦しくて、モヤモヤしてるけど、

綺麗事かも知れないけど、

鏡太郎さんのところまで届くくらい、すごい奴になりたい。

 

ただ、本当にそれだけの話。

俺の勝手なエゴな記事。

 

とにかく、とにかく。

鏡太郎さん、ご冥福を心よりお祈りします。

あなたにいただけた光、忘れません。

これは絶対忘れません。

 

皆の中で、鏡太郎さんは生き続ける。

 

 

知らない人は、ぜひ鏡太郎さんの朗読聴いてみて。

鏡太郎さんのチャンネル見てみて。

マジでいい朗読されてます。

味がありすぎる。

↓ 

www.youtube.com

 

 

こだまさんはパラレルワールドがお好き〜怪談朗読【異聞奇譚】裏話〜

怪談朗読を何度もやっていると、目が肥えてくる。

 

そもそも元々が、小説の類が好きな人間だから、

そこらへんの人よりかは、ほんの少しだけ文章やオチに口うるさい。

 

やっぱり朗読をやっているからには、

話の中の言葉や、語りに感情を投影しなければならず、

そのためには

 

一度文章を読み上げてみて、

自分の感情が乗せやすいかどうか

 

ってのが、かなり話の選考基準に加わってくるわけだ。

 

 

一本あたりが10分を超える話になってくると、かなり神経を使って読み上げるし、

20〜30分なんて超えられると、正気の沙汰じゃない。

 

とはいえ、少し前に朗読した「夏休みのバイト」や「かえるのうた」、そして少し前に朗読した「自転車に乗っている夢」なんかは本当に頑張ったと思う。

 

youtu.be

 

youtu.be

 

ただ単に「怖い」という理由で選ぶと、自分としても聴く人としてもチープな内容になってくる。

 

それで言えば「姦姦蛇螺」とかは、本当に映画化とかを狙ったかのような、創作伝承物と個人的に位置づけているものの、あれは圧倒的に怪談朗読には向かない。

 

怖い話として話す分にはいいかもしれないが、絵文字や記号なんかを使って表現されている文章は、朗読として難しい。

 

一方で打開策としては、画像や、絵をそこに乗せればいいのだが、

それをやってしまうと”朗読”という前提が崩壊し、感情の部分がおざなりになってしまいそうで、どうも難しい。

 

だから単純に「好き」や「怖い」と考えている話が、朗読に向いているか、とは別の話というわけだ。

 

 

そもそも、本当に怖い話って何なのだろうか。

 

”他人の実体験”など、自分に関係のないところの恐怖なんて、本当に恐怖なのだろうか?

 

特に怪異となると、スピリチュアルとまではいかないが、仮想現実よろしく、

現実感のない話としてとらえている人も一定数はいるはずだ。

 

だからこそ、怖い話というものは、「心霊」と「人怖」に大きく分かれる。

心霊がどうも信じられない場合、恐怖できるのは人の怖さで、

やっぱり「生きている人間が一番怖い」というのは、実際にそうなんだと思う。

 

結局の所、心霊だろうが、人怖だろうが、

自分に当てはめて、それがリアルに感じれるほど、本当の怖い話

なのだと思う。

(その点で言えば、すごく有名な話である「リゾートバイト」は心霊かつ、人怖でもあると思う。)

 

人によって、怖い話や好きな話に差が出るのはこういう側面が大きい。

こだまは怖がりなので、直接的な描写や、苦手なグロ描写の話をあまり好まない。

 

なので、何でも朗読します!っていう感じではない。

一応目は通すけど、どんなに面白くても、どんなに怖くても「話せない」のでは意味がない。

 

そんな中、優先的に選ぶジャンルがある。

 

パラレルワールド」「タイムパラドックス」のような、不可思議系である。

 

それこそ坂本龍馬未来人説だったり、UFO=タイムマシーン説だったりは大好物。

 

どこかで、解釈の辻褄が合うことが、とにかく好きなんだと思う。

 

また、解釈が人によってばらけたりするところも好きで、そういった考察によるディスカッションができるのも魅力。

 

考察と言わず、物語は完結しているが、ゲーム「SILENT HILL2」「SIREN2」が大好きなのは、解釈が自由にでき、その伏線をキレイな形として回収してくれたからだ。

 

サイレントヒルに関しては、小説も持ってるし、廉価版だったりHDリマスター版も買うほどにのめり込んだ。

 

単純にパラレルワールドが好きなのだろう。

 

全然話は違うけど、ゲーム「スーパーロボット大戦」が大好きなのも

「ロボットが好き」というより、本来は違う時間軸にあるアニメたちを、

上手く(無理あるけど)同じ世界線に並べているところもある。

 

さて、前フリがとても長くなってしまったが、(もっと長くなりそうだから)

今回なぜこのタイトルにしたか、という話をする。

 

わざわざ記事にするくらいだから、本当に面白いと思ったのだ。

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あんまり心霊的に怖くないので、怖いのが苦手な人でも読めると思う。

 

簡単に物語を書くと、

 

書き手さんが家に帰ると、家には母がいて、夕飯を作っている。

着替えて居間に座ってどら焼きを食べる。

 

母親はシチューを作ってるらしく、「先に食べる?」と聞いてくるが、

どら焼きを食べたのでお腹空いてないと断る。(ここで違和感に気づく)

意味深なことを言い出す母。←みんなでせえので食べよう、みたいな。

 

怖くなり、走りに行くと伝え、逃げるように外に出てしばらく走って家に向かうと、

パート終わりの買い物帰りであろう母が、玄関を開けようとしている。

 

「シチューは?」と聞くと、「シチューは時間がかかるから、炒めものでいい?」と言われ、怪訝に思いながら台所に向かうと、朝出ていったままであろう台所の姿。

 

時は経ち、大人になって母にその話をすると、その当時のことを母親が話す。

夫の浮気やパート先でのいじめが重なっていて、

こんなに辛いのなら、子供を殺して自分も死のうとしていた時期だった、と。

 

母曰く、そのシチューを作っていた自分は生霊だったのかもね、と。

(夫は浮気相手に振られたと言ったが、本当は事故死だったとか。)

 

 

この話自体は、まあ個人的に、YouTube内での採点形式で言うなら★★☆☆☆くらい。

 

怖いと言うより面白いな、ってくらいで、書き方も上手だから、朗読の対象内ではある。

 

しかし、なぜこの話を今回記事にしたかというと、もちろんしっかりとした理由がある。

 

この書き手さんが、後半でとても面白いことを言っているのだ。

 

シチューの母も、買い物帰りの母も、どちらも存在していた本物の母親で、

自分があのときに、どら焼きを食べずにシチューを食べていたら、

そっちの方が正史になったパラレルワールドがあったのかもしれない。

 

この解釈の仕方には、すごく衝撃が走った。

つまり、この時どちらを食べるをの選択が、AルートとBルートの分岐点だったのかも、というのだ。

 

世界には、見えない力が働いていて、特にパラレルワールドのような、不安定な世界線もそう。

 

いくつにも分岐するルートがあるものの、ゴール自体があまり変わらないように修正されていくと言われる。

 

しかしこの話では、シチューを選んでいたら、買い物帰りの母の方が消えていて、

思いつめていた母親に無理心中に巻き込まれるエンドに突入し、自分がいない未来があった、みたいな話をしている。

 

この解釈は本当に面白い。

もしかしたら、こういうことは日常で起こっていて、それに気づいていないだけかもしれない。

 

知らず知らずのうちに、正解を選ぶことがある。

ほんの少しだけずれていたら、死んでいたかもしれないということがあったりする。

 

それを選んだから、今の人生があるということもある。

人生は選択肢の連続で、人は無意識に正解を選んでいくのだと思う。

 

それが失敗かどうかを決めて、

そこから落ちぶれるか、ひねくれるか、前を向いて取り戻そうと頑張るか、

それすらも自分で選ぶ選択肢になる。

 

世の中には、本当に不思議な力が働いている。

坂本龍馬未来人説も、こじつけかもしれないが、そういう話だったりするわけだ。

 

過去の偉人が、綺麗に物事を成してくれたから、今の世界、今の日本がある。

今の自分達がいる。

この今の当たり前ってのは、とんでもない努力もあり、不思議な力によるものだ。

 

…まあ、それが誰かに仕組まれているかもって陰謀説もあるけど。笑

 

やっぱりオカルトは面白い。

これだからやめられない。

 

今回紹介したお話「母ちゃんが台所で料理をしていた」という話は、

次の怪談朗読に収録しようと思っています。

 

本当に面白い話でした。

 

それでは、またお会いしましょう。

 

JoYん人のこだまでした。

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熊本PARCOが閉店した

タイトルのとおりだが、随分前から決定していたのは知っていた。

 

なのに、こんなに感慨深いのは、

きっと俺が働いていたことがあるからだろう。

 

PARCOの中に入ってるお店だったけど、今思い返せば、すごく心に残っていることがある。

 

俺としては、今でも自慢できるくらいの内容だと思ってる。

 

それについての話をしようと思う。

 

 

人間は負のエネルギーを伝えようとする

 

簡単に言うと、クレームだね。

 

これは仕方ないと思う。

 

クレームによってのクレクレとか、クレーマーは別の話だけど、

 

わざわざ「あのお店は〜」と熱量を使って、ネットに書き込むとか、

お店に電話をかけるのは、少なからず

 

「こういう思いをしたから不快でした(だから変わってください)」

 

という思いがある。

 

もちろんストレス発散ってのもあるとは思うけど、()の中の部分が重要。

 

人にもよる。

 

でも俺は、わざわざクレームを入れたりしないし、”嫌な思いをしたなら行かなきゃいい”って思うんだよね。

 

ムカつくってのもあるんだろうけど、電話するほどの熱量や時間を使ってくれてるって思う。

 

 

人間は善のエネルギーを使うことが少ない

 

だって、自分に置き換えてみてもそうだと思う。

 

例えば、嫌な店員がいたお店に

「〇〇って人の態度が悪くてムカつきました」

って書き込みをするとか、電話をする

 

なんてことはあっても、

 

「〇〇って人の態度とか接客が本当に良かったです!!」

 

なんて電話とかしないと思うんだ。(あくまで普通の生活でね)

 

とある接客業で働いた時は、それを露骨に強制して、

マイナス意見が書かれた店の、その店員は”戦犯として扱う”みたいなやり方してたから嫌いだったこともある。

 

態度をよくするための施行としても、下の意見を何ら聞いていないのが分かったから。

 

俺は少なからず、

俺自身は”人間の自然に出る笑顔”で、自然に相手にも笑顔になってほしいんだよ。

 

それが分かってない企業や会社でなんて働きたくない。

 

 

自慢できる内容とは

 

俺は接客業が好きなんだ。

それは少し上に書いてるのもそう。

 

俺の笑顔や接し方で、誰かが笑顔になってくれるなんて、幸せでしかない。

 

だけど、さらに上で言ったように「人間は褒めることを行動に移そうとはしない」ものだ。

 

それでいい。

 

それでいいんだよ、本当に。

 

影に隠れてるポジションでいい。

 

俺が昔から言ってる「朝のコンビニ店員理論」ってのがあって、

一日の循環のスタートが笑顔で切れるかどうかってのが本当に大事なんだよね。

 

すべての人に解ってもらえなくても、+のエネルギーも、−のエネルギーも循環する。

だから、その人のスタートを+できれるようにしたいんだ、俺は。

 

その考えで、接客業が好きと言ってる。

 

接客できない接客業なんてくそくらえ。

 

 

やっと”本題”

 

そう、上で書きそびれたから、今書くと、

 

俺が接客した人から、熊本PARCOの事業部に電話があったんだよね。

 

これは、PARCOの偉い人が直接来て言ってたんだけど、

 

そういう電話のだいたいがクレームだから「〇〇って店の、男性店員さんが〜…」

 

って電話があった時も、普通にクレーム対応として受け取ってたらしい。(男性店員は俺しかいなかった)

 

ただ、聞いてると内容は全然違って、

 

「今まであんなに丁寧で、気持ちのいい接客を受けたことがなかった」

 

って、そんな内容だったらしいんだ。(相手は年配の女性)

 

これは実際に、その熊本PARCOの偉い人が、俺のとこに来て

 

「こんな電話は、今までの熊本PARCOの歴史の中でも初めて」

 

ってべた褒め。

 

俺は、この時「ああ、俺の接客って間違ってなかったんだー」って思った。

 

俺のやりたい接客ってこんなんだ。

 

髪の色とか、そういうのも関係なく(確かこの時は赤髪だった)人と人が心でつながれる。

 

目に見えなくてもいいことを、電話してくれて、きちんと言ってくれたのも嬉しかった。

 

その言葉が欲しくてやってるんじゃないけど、やっぱり見てくれてる人は見てくれてるんだ、って。

 

 

 

 

 

 

一通り褒められた後に、店長が寄ってきて、

 

「すごいね。まあ、うちの店とは関係ないけどね。」

 

ってこの発言で、店辞める決意したんだ。(出世したいとも思ってなかったし)

 

俺を活かせない職場には、俺にとっての価値は何もない。

 

だから、自分を評価してくれるところに身を置くべきなんだよなあ。

 

 

今回の熊本PARCOがなくなる件でいろいろ感慨深くなった、こだまなのでした。