熊本PARCOが閉店した

タイトルのとおりだが、随分前から決定していたのは知っていた。

 

なのに、こんなに感慨深いのは、

きっと俺が働いていたことがあるからだろう。

 

PARCOの中に入ってるお店だったけど、今思い返せば、すごく心に残っていることがある。

 

俺としては、今でも自慢できるくらいの内容だと思ってる。

 

それについての話をしようと思う。

 

 

人間は負のエネルギーを伝えようとする

 

簡単に言うと、クレームだね。

 

これは仕方ないと思う。

 

クレームによってのクレクレとか、クレーマーは別の話だけど、

 

わざわざ「あのお店は〜」と熱量を使って、ネットに書き込むとか、

お店に電話をかけるのは、少なからず

 

「こういう思いをしたから不快でした(だから変わってください)」

 

という思いがある。

 

もちろんストレス発散ってのもあるとは思うけど、()の中の部分が重要。

 

人にもよる。

 

でも俺は、わざわざクレームを入れたりしないし、”嫌な思いをしたなら行かなきゃいい”って思うんだよね。

 

ムカつくってのもあるんだろうけど、電話するほどの熱量や時間を使ってくれてるって思う。

 

 

人間は善のエネルギーを使うことが少ない

 

だって、自分に置き換えてみてもそうだと思う。

 

例えば、嫌な店員がいたお店に

「〇〇って人の態度が悪くてムカつきました」

って書き込みをするとか、電話をする

 

なんてことはあっても、

 

「〇〇って人の態度とか接客が本当に良かったです!!」

 

なんて電話とかしないと思うんだ。(あくまで普通の生活でね)

 

とある接客業で働いた時は、それを露骨に強制して、

マイナス意見が書かれた店の、その店員は”戦犯として扱う”みたいなやり方してたから嫌いだったこともある。

 

態度をよくするための施行としても、下の意見を何ら聞いていないのが分かったから。

 

俺は少なからず、

俺自身は”人間の自然に出る笑顔”で、自然に相手にも笑顔になってほしいんだよ。

 

それが分かってない企業や会社でなんて働きたくない。

 

 

自慢できる内容とは

 

俺は接客業が好きなんだ。

それは少し上に書いてるのもそう。

 

俺の笑顔や接し方で、誰かが笑顔になってくれるなんて、幸せでしかない。

 

だけど、さらに上で言ったように「人間は褒めることを行動に移そうとはしない」ものだ。

 

それでいい。

 

それでいいんだよ、本当に。

 

影に隠れてるポジションでいい。

 

俺が昔から言ってる「朝のコンビニ店員理論」ってのがあって、

一日の循環のスタートが笑顔で切れるかどうかってのが本当に大事なんだよね。

 

すべての人に解ってもらえなくても、+のエネルギーも、−のエネルギーも循環する。

だから、その人のスタートを+できれるようにしたいんだ、俺は。

 

その考えで、接客業が好きと言ってる。

 

接客できない接客業なんてくそくらえ。

 

 

やっと”本題”

 

そう、上で書きそびれたから、今書くと、

 

俺が接客した人から、熊本PARCOの事業部に電話があったんだよね。

 

これは、PARCOの偉い人が直接来て言ってたんだけど、

 

そういう電話のだいたいがクレームだから「〇〇って店の、男性店員さんが〜…」

 

って電話があった時も、普通にクレーム対応として受け取ってたらしい。(男性店員は俺しかいなかった)

 

ただ、聞いてると内容は全然違って、

 

「今まであんなに丁寧で、気持ちのいい接客を受けたことがなかった」

 

って、そんな内容だったらしいんだ。(相手は年配の女性)

 

これは実際に、その熊本PARCOの偉い人が、俺のとこに来て

 

「こんな電話は、今までの熊本PARCOの歴史の中でも初めて」

 

ってべた褒め。

 

俺は、この時「ああ、俺の接客って間違ってなかったんだー」って思った。

 

俺のやりたい接客ってこんなんだ。

 

髪の色とか、そういうのも関係なく(確かこの時は赤髪だった)人と人が心でつながれる。

 

目に見えなくてもいいことを、電話してくれて、きちんと言ってくれたのも嬉しかった。

 

その言葉が欲しくてやってるんじゃないけど、やっぱり見てくれてる人は見てくれてるんだ、って。

 

 

 

 

 

 

一通り褒められた後に、店長が寄ってきて、

 

「すごいね。まあ、うちの店とは関係ないけどね。」

 

ってこの発言で、店辞める決意したんだ。(出世したいとも思ってなかったし)

 

俺を活かせない職場には、俺にとっての価値は何もない。

 

だから、自分を評価してくれるところに身を置くべきなんだよなあ。

 

 

今回の熊本PARCOがなくなる件でいろいろ感慨深くなった、こだまなのでした。