誰かに嫌われるのが怖い人へ

ここ最近、自分でも予想外のことが起きている。

 

急に怪談朗読の視聴数が上がってきていることだ。

 

実にありがたい。

 

個人的に、最近は怪談朗読をするのが楽しくて仕方ないし、

いろんな話を読みたいと思っている。

 

それに伴い、自分の技術も上げようともしている。

 

誰かに怪談を聴いてほしい、その思いが最高潮だ。

 

 

…さて、視聴数が増えるとそれなりに出てくる問題がある。

 

それはアンチだ。

 

どんなに素敵なものを作ろうと、どんなにカッコいいものをやろうと、

 

世の中には「なんとなくいけ好かないとか

「みんなに人気があるやつが嫌い」という考え方だってある。

 

かくいう俺だって、偏見はあるし、どうしてもいけ好かないやつもいないわけじゃないから、理解はできる。

 

先日このようなコメントがきていた。

 

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俺は、とある事情で他の人より煽り耐性がある。

 

それのおかげで、他人からの批判をポジティブにとらえることができる。(かと言って傷つかないとか、何とも思わないとかじゃない)

 

まあ、笑ってくれるなら俺はそれだけで全然いいんだけどね。

 

 

こだま式メンタルの持ち方

 

ということで、俺の中のメンタル術を少しご紹介。

 

①「嫌い」という感情にはエネルギーが発生する

 

”好き”の反対は”嫌い”ではなく、”無関心”である、とはよく言う。

 

「無関心」とは、全く興味がないようなもので、

つまり「存在していないのと同じ」である。

 

いちいち「嫌い」と言ってくれる人は、こちらにエネルギーを使ってくれているのだ。

 

「下手くそでワロタ」とコメントをくれるのは、嬉しいことであるという考え。

 

だって俺は他の人の動画を観て、いいねやコメントをすることはほとんどないから。

 

それなのに俺の動画に対して中傷とはいえ、熱量を使ってくれてるのだ。

 

悪口は、興味のない人に対しては出ない。

 

言い返すと、俺に少なからず興味を持ってくれているということは、

 

その人の中には、ちゃんと”俺が存在している”ということだ。

 

それだけで嬉しいことだと思える。

 

 

②喧嘩腰で対応する、”ヘコむ”とかは、時間の無駄である

 

そもそもこのネットが完全普及した現代社会、言いたいことはほとんどネットで言うやつが多い。

 

現実で言えば角が立つとか、自分の立場とかもあるだろうから、

顔も見えない人に対してしか、ストレス発散できない。

顔が見えないから、何を言ってもいいって思ってる人がいるのは、少し悲しいが。

 

だけど、その悪口や批判を鵜呑みにして落ち込んだところで、何のメリットがあるんだろうか、と。

 

もちろんそりゃあできれば嫌われたくはないけど、感情が存在するものには、”100%”という言葉は存在しないと思う。

 

冒頭でも言ったとおり、人気がある人が嫌いという人が、この世に存在している限り、100人が100人好いてくれるなんてありえない。

 

世の中には、イケメンや美女が嫌いという人がいる。

 

1人からぶつけられた「嫌い」という言葉や感情にとらわれるより

自分を好いてくれる人のことを考えていたほうが、時間は有益に使えるわけだ。

 

そもそも、どんなに人気のある、視聴数のとれるYouTuberでさえ、低評価はかならずつく。

 

一番怖いのは、”低評価”や”中傷コメント”じゃなくて

”観てもらえないこと”だ。

 

いちいち悪口に付き合っているほど、暇な時間はないはずだ。

 

他人に言わなくてもいい悪口を言ってくるような、

”暇なやつ”と同じレベルに自分が落ちる必要はない。

 

要は、気にすんなってこと。

 

 

③ネタにすればいい

 

今回ブログにできたから儲けもん。

 

だってブログの記事って探すのもめんどいから、

そのネタが向こうから飛び込んできたみたいな感じ。

 

それだけで、批判コメントは嬉しい。

 

 

④”自分はこう生きる”という信念を持つ

 

やっぱり人間だから、落ち込んでいる時に言われたら、どうしても立ち直れなくなることもあると思う。

 

実際に病んでしまうのも人間の特徴だし、それは止めようがない。

 

どんなにポジティブに見える人にも、ある程度の周期で落ち込む時期は来る。

 

それに気づかないように自分を忙しくする、というのも一つの手だが、

そこまで一生懸命にやりすぎるのも疲れるし、ずっと走り続けるのはしんどい。

 

だが、誰かに批判されるということは、なにかしろの情報を発信したということ。

 

そして、自分はそれで生きていきたいと思っているのなら、

批判されて傷つくのは、その覚悟が足りないということ。

 

情報を発信していく上で、批判はつきものだ。

情報発信と批判はセットなのだ。

 

少しの悪口を言われたくらいで立ち止まるのなら、

最初からやらないほうがいい。

 

人目につく、ということはそういうことで、

批判されたり悪口を言われたくないのなら、

おとなしく世の中が言う「普通」の生き方をしてればいい。

 

 

 

…と、こんな感じで何とか悪口を回避している。

 

もちろんこんな俺だって、誰かに嫌われたくて生きてるわけじゃないから、

好かれるほど嬉しいことはない。

 

だけど、これだけは理解しておくべきことがある。

 

誰かに嫌われてないと、誰かに好かれてるかがわからないということだ。

 

誰にも嫌われないやつが、誰かに好かれるわけがないし、

 

誰にも嫌われないように選んだ道なんて、普通の道だ。

 

俺はそんな普通の生き方が嫌だから、折れたりするわけにはいかない。

 

 

というか、この記事を書きながら思ったけど、朗読が上手いなんて一言も言ってないんだけどなぁ…笑

 

少し前に見たONE PIECEでドクトル・ホグバックが言ってたけど

 

「俺を勝手に尊敬すんのはてめえの自由、
ただてめえの理想と違ったおれを失望すんのは筋違い」

 

この言葉は、結構胸に残った。

 

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尊敬とは違うけど、突然向こうから来といて、

言いがかりみたいなのつけてくるような暇人の言葉は、相手にしないのが一番。

 

 

今回はそういう記事。