生き方、働き方

昨年、現在の同志、船長こと”garaman大砲さん”と、今ほど会ったりしてなかった頃のお話。

 

それまで自分の生きてきた環境や、道に対して疑問を抱いていた。

 

俺に革命を与えてくれた堀江貴文さんの本と出会って、自分の生き方が大きく変わった。

 

幼い頃から親に、そして周りに「人に迷惑をかける人間になるな」「みっともない人間になるな」という洗脳じみた育てられ方をしてきた。

 

そもそも何が迷惑で、何が迷惑じゃないかの判断なんて、人が勝手に個人で判断してるだけだ。

 

子供の頃からそう。

 

自分の意見は基本的に「黙れ」と言われてきたし、言っても聞いてもらえなかった。

 

おかげで、自分の意見なんて言えるはずもない大人になった。

 

人のせいにしてもいいことはないから、そこに関しては別に恨んでるとか、そういうことはない。

 

だけど、心の中に根付いてしまったものが、いつも俺に足踏みさせる。

 

前に踏み出すことをいつも臆病にさせる。

 

そんな自分を超えたい、変えたいと何度も足掻いてきた。

 

 

前より、視野が広くなった。

 

それは自分の知らない世界を知ろうとしたことがきっかけで、

 

あの時の一歩が大きく俺の人生を変えたと思う。

 

もし、あの時に船長たちと出会ってなかったら、もう少し俺はくすぶっていたかもしれない。

 

 

実際に、昔の俺は”生き方は一つ”だと思っていた。

 

この世の中は、世界や社会の偉い人や、法律が人を閉じ込めてしまう。

 

少しでも人との集団から外れてしまう人を罵ったり、笑ったりする。

 

俺は罵られるのも、笑われるのも怖かった。

 

人に笑われて恥ずかしい思いをするくらいならば、いっそのこと何もしないでおきたかった。

 

そうしたら、人に嫌われることも幻滅されることもない。

 

だけど、それでいいのか?

 

それで生きてると言えるのか?

 

周りの言うことに耳を傾けて生きていくなんて、周りの顔色を伺って生きていくなんて、そんなの誰の人生なんだ?

 

もっともっと自由に生きたい。

 

誰にも雁字搦めにされない、そんな世界を生きたい。

 

日本では、自分に興味すらない人が批判をしてくる。

 

ストレス発散だったり、八つ当たりだったり、面白いから、という理由もあるだろう。

 

それをやめさせるのはさすがに無理だし、自分も知らず知らずに何かを批判することはあると思う。

 

それでいいんだ。

 

「人に迷惑をかけるな」なんて言われ続けてきたけど、人間生きていく上で迷惑は絶対にかけてる。

 

そもそも「俺は誰にも迷惑をかけてないんだ」と安心するのはただの”傲慢”なんじゃないのか。

 

みっともないのはそっちだ。

 

自分の意見も言わず、誰かの影に隠れているだけ。

 

意見も言わず、傷つくことも、戦うことも、あまつさえ逃げることすら選択しない。

 

なんてみっともない生き方だろう。

 

 

戦うんだ、あの頃の俺を変えるためにも。

 

働いてきた全ての仕事に真面目で、辞めるとも言い出せず、続けるのも嫌なのに自分を押し殺していた。

 

どうしても行きたくない仕事に無理に通って、死のうかとまで考えたこともある。

 

自分を殺すような真面目なら、俺は、もう不真面目でいい。

 

何が真面目で、何が不真面目かなんてのも、それぞれ個人が勝手に決めた尺度での話だ。

 

俺は俺なりに真面目に生きていこうと思うし、それを不真面目と笑われようがdisられようが、どうだっていい。

 

俺の信念を邪魔する人間に笑われてもそれでいい。

 

だからこそ、もっと自分を追いこめ。

 

もっと自分のことを考える。

 

今の時代、こんなに武器がある。

 

もっと楽しく、自分らしく生きないなんて勿体無い。

 

そんな生き方を模索していく。

 

自分らしく、生きていく。

 

好きなことだけで、生きていく。

 

そうなってみせる。