昔、お笑い芸人になりたかった

今でこそ、信じられないと思われることも多いのだが、中学生のときにお笑い芸人に憧れていた。

 

その当時は、今や引っ張りだこの芸人さんたちが駆け出しの時代。

 

くりぃむしちゅーも、さまぁ〜ずも名前が違った。

 

爆笑オンエアバトルという、NHKの番組を毎週録画し、狂ったように毎日観ていた。

 

しばらくすると、エンタの神様なんかが流行り始めて、そこらへんからお笑い熱が冷めていった。

 

勝手に自分の中で、マイナーなお笑い芸人さんたちをメジャーなものにしたくなかったのがある。

 

大多数の人に当てはまると思うのだが、自分しか知らないインディーズのバンドが急に売れて、雰囲気が変わると何となく寂しくなる…のと感覚は似ているはずだ。

 

その中でも当時、中学生の俺は全然嫌いだったが、ある時を境に「ラーメンズ」にハマることになる。

 

小林賢太郎さんのことは、この世に現存する神様のように思っている。

 

それこそ、テレビへの出演が他の芸人さんに比べてかなり少ないので、知らない人もそれなりにいる。

 

まあ、今回は俺のラーメンズ愛を語る内容ではないので、ここらへんで切っとこう。

 

ブログが終わらなくなる。

 

 

その当時は特に好きな芸人さんがいて、「アメリカザリガニ」と「ルート33」は俺の中でも屈指の芸人さんだった。

 

あの当時は、特に何も考えずに

 

「歌でカバーとかあるなら、芸人のネタをカバーしてもいいはず!」

 

なんて安直に思って、すぐに友人とコンビを結成。上の2組のネタをカバーした。

 

たまたま知り合いの保護者さんたちの何らかの打ち上げに出させてもらうことになり、そこで披露した。

 

ドカーンと、笑いが起きた。

 

ビックリするくらいにみんな笑ってくれた。

 

その笑顔は、他の何にも変えられないほどの宝物だった。

 

この時、俺は芸人になりたくて仕方なかった。

 

 

何がきっかけで、芸人の夢を諦めたのかは今では覚えていない。

 

たぶん音楽にのめり込むようになったとか、何となく芸人はカッコ悪さを求められる気がする、とかそんな感じだったと思う。

 

あの頃の行動力を考えると、本当にすごい勢いだったと思う。

 

あの頃より、歳をとった。

 

きっと歳をとってくるうちに、どこかで常識とかに自分の夢を食われてしまったんだろう。

 

何となく、そう思った。

 

だけど、心の中にまだ夢はいくつも埋もれていて、その夢が外に出たいと叫んでいる。

 

今はお笑い芸人になるなんて夢は浮かばないけど、俺の大事な一部。

 

俺が地味にお笑い芸人に詳しいのには、それなりの熱が入っていた時期があったからだ。

 

あの頃の夢への供養のようなものをするには、他の夢を叶えていくしかない。

 

この旅はまだまだ終われない。

 

何をしていいか、分からない。

 

そのために今は自分の思考をまとめる。

 

俺はまだまだ前に進めるから。

 

あの時の行動力を出すだけだ。