人生なんて舐めてるくらいが丁度いい
世の中には、生きることに絶望した人がいる。
世の中には、生きていくことに絶望した人がいる。
なぜか追い詰められた人は死を選ぶ。
俺にはそれが分からない。
死ぬことを考えると、ただただ怖い。
自分の思考の範囲外に飛び出さなければならないし、それを実際に理解するときには、もう自分はこの世にはいないのだ。
それでも、この世には自ら死を選ぶ人がたくさんいる。
それほど、絶望したのだろう。
きっとその絶望は、俺なんかには理解できないほどのものなのだ。
人は対人関係において悩むことは多い。
職場でも学校でもそうだ。
いじめだったり、グループの違いだったり。
それはどこに行っても付いて回るもの。
結局のところ、他人がこちらの人生に干渉してくることからは逃れられない。
そこに苦しみしか見いだせなかったとしたら、その苦しみを続けるのが嫌になるのは、至極当然のことである。
俺は昔、とんでもなく真面目だった。
今も根本的には真面目なのだが、だいぶ緩く考えれるようになった。
厳格な両親の元、真っ直ぐに育てられた。
それはスパルタとも呼べるようなものだった。
子供の頃に植えつけられた「常識」にまだどこかでとらわれている。
仕事をしているとき、誰よりも真面目に働いた。
給料をもらうためには、しっかりと働かなければならない。
遅刻もしないし、上からの命令には完全に忠実である。
犬のように飼い慣らされていれば、怒られることもない。
働いていると、よく「社員にならないか」と誘われた。
それは本当に嬉しいことだったが、どこも断り続けていた。
立場が嫌いだった。
ただそれだけで、仕事自体が嫌になったとかはない。
それくらい仕事を好きになってから、働く。
それが働かせてもらう側の、当然の思考だと思っていた。
休みも自分では決めない。
そのほうが店に、社会に迷惑をかけないと思っていたからだ。
正月やお盆、クリスマスやGWのような人手が足りなくなるイベントには、本当は嫌だったけど休みをとらなかった。
それくらい従順に働いていた。
昨年、とある大手のリサイクルショップに勤めていたときの話だ。
持ち前の真面目さと、仕事をすぐに覚えた努力によって、バイトリーダーを任されていた。
これは別に、このときのお店が初めてではない。
昔から、こういうポジションを任されることが何かと多かった。
新人に怒ることなく仕事を教えるのも上手い。
そもそも怒ること自体がナンセンスだと思っている。
休みも主張しない、急な欠勤が出たら代わってシフトに出るし、上からの指示には「YES」しか答えない。
まさに会社から見たら理想的な駒である。
その時も、それまでも、それでよかった。
俺はそういう生き方をしていくものだと、心で思っていたわけだ。
しばらく働くと、いろんな想いが交錯していた。
原因は店にも、人にもあった。
基本的に社員は圧倒的な残業に見舞われる。
そしてそれに付き合わされることが増えた。
残業という言葉は、昔から嫌いだった。
理由は「自分の時間が減る」から。
自分の時間を楽しくするために働いているのに、残業なんかしてたらその時間も終わってしまう。
だが、NOを言えない俺は常に要望に応え続けた。
そういうことがしばらく続くと、社員たちは定時で帰るスタッフを邪険にし始めた。
何となく立場的に優遇してもらえることに優越感を味わいながらも、他のスタッフを邪険にする理由はないことを思うとモヤモヤしたものが胸の中に残っていた。
しかし、仕事ができない人や、仕事をしない人とも俺の給料は変わらない。
ほんの少しのモヤモヤを抱えながらも、働いた。
正月は朝の9時から、夜の22時まで働いた。
何となく、生きている実感を持てなかった。
普通に分かっていた。
他のスタッフは、俺に甘えている。
何かミスをしても、俺がフォローをするし、基本的にほとんどの仕事ができたから。
後始末も、手伝いも、何をやっても万能にこなせる。
他の人は別に俺の仕事量を真似しなくても同じ時給がもらえたのだった。
俺は「接客業が好き」だった。
だから接客を大事にしているということを聞いて、この店で働きたいと思ったわけだ。
いつの間にか、いろんな仕事を任されているうちに「接客」をする時間さえもらえなくなった。
何となく、この仕事に嫌気がさしてきていた。
ある日、新人のスタッフに仕事を教えている社員が所用で席を外した。
その時に俺は仕事を振られていてバタバタしてたのだが、新人スタッフのもとにお客が来て、テンパっているのは分かった。
質問されたから、それに答える。
正直な話、先輩スタッフとしては理想だったと思う。
その間に振られていた作業の手は止まった。
新人のスタッフに仕事を教えていたからだ。
時間の配分はできていたし、それを教えたら戻るつもりだった。
怒られたのは、俺だった。
「別の仕事はしなくていい」
そんな淡白な理由で。
それなら席を外さなきゃよかったし、お客に質問されてテンパっているのだから、そこを放置するのも違うでしょう、と正論をぶつけた。
それから、その社員は俺への対応が圧倒的に変わった。
別に俺は気にしてなかったけど、仕事場に個人的な感情を持ち込む人は昔から嫌いだった。
何となくこの仕事に冷めてきたのを実感していた。
そこで仲良くなったスタッフに起業を持ちかけられた。
↑それが、この時の記事だ。
自分の考えていた思考や、持っていた概念はとても脆いものだったと知った。
もう、その職場にいる意味が見つけられなかった。
こんな真面目一辺倒で、社会に時間も搾取される生き方をしなくていいんだ!
そう考えると胸は踊った。
自分への反抗、それが何より心地よいものだった。
自分の中で、自分に向けた革命が起きた。
真面目だった俺がGWを目前に、仕事を辞めた。
社員や周りのスタッフは止めてきたが、もう俺は止まれなかった。
今まで真面目に生きてきて、社会は、世界は俺に何かしてくれたか?
答えはNOだった。
マイナスが生じると、すぐに切ろうとしてくる。
つまり本当の意味で、使い捨てのコマなのだ。
そして、もっと言えば残業している社員でさえも、そのいい例だ。
もっと上の、もっと大きな立場によって命を握られている。
それが社会というピラミッドなのだ。
真面目に生きてきたのに、それが何にもならないことを何となく実感していた。
自分の生きてきた真面目さの概念に亀裂が入ったおかげで、自分の生き方の軸みたいなものがハッキリした。
生きてきた中でどこか、ずっとモヤモヤしていた。
接客業で繁忙期に休めないのは当たり前?そんなの誰が決めたんだ。
真面目に働くのが大事?苦労は買ってでもしろ?
勝手にそう言ってただけ。
思わされてるだけ。
誰かの言った常識に振り回されて、そこで思考を止めてしまっていただけ。
時給は、働いてから得る対価ではない。
自分の命を時間刻みで、会社に売っているというシンプルなもの。
そしたら、もっと自由に生きないと割に合わない。
世の中そんなに甘くないって、生きてたら誰かに言われたことがある。
そんなこと言うやつに限って、そういうことをやったことない、とか挑戦したことがない。
自分の夢を諦めて人の足を引っ張る思考停止人間。
世の中甘くないかどうかは、お前が決めることじゃねーよって。
そんなことを考えて、俺は生き方を変えるスイッチを押したんだ。
自分の歩みを止めない、この足は前に向かっている。
目は前を見ている。
だから進め。
もっと楽しく、もっと自由に、もっと強く。
もっと遊ぶ。
自分が今まで、真面目に生きてきたことを、ぶち壊す。
そして、その先で俺は笑っていたい。
だから人生を舐めて生きていけるってのを、俺が実証していくところ。
生きるのを放棄するのは愚かだ。
人生自体には勝ち負けはなく、そのレールから降りたものが負け。
俺はとんでもない借金を背負ったことがあるけど、生きてる。
生きてこれてる。
生きてれば何とでもなる。
生きていれば前に進める。
だから、死ぬより、今の自分を殺して新しい自分に生まれ変わる。
それが来世である必要なんて全くないのだから。
楽しく、笑って、全力で生きていく。