人に嫌われることを恐れない

 

最近、とある相談を受けた。

 

仕事でお客さんに言われた言葉で傷ついた、という相談だ。

 

ネイルという技術職で「下手ですね」と言われたことが悔しかったらしい。

 

専門の資格も一番上のを持っているくらいすごい人なのだが、悪口に対する耐性がなさすぎる。

 

もちろんそんなことは当たり前で、普通に生きてるなら悪口なんて言われることはそんなにないし、言われて嬉しいと思う人は稀だろう。

 

つまるところ結局は、プライドのせいで傷ついているとも言える。

 

これはコンプレックスという言葉にも置き換えることができる。

 

例えるとするなら「太っている」という悪口は、その人が気にしていないと生じないものだ。

 

ガリガリの人が、あてつけではなく本当の意味で「デブ」と言われても、違うのだから気にはならない。

 

自分が気にするところで、その特定の言葉を言われるという状況下において、初めて悪口として機能するわけだ。

 

今回のことに関しても、余計なプライドがあるせいでいちいち傷ついてしまう。

 

もちろん、その人が努力を怠ったりしたのもあるとは思う。

 

だが、たまにくる悪口を受け止めすぎて、押しつぶされてしまうのは本末転倒だ。

 

相手にとっては悪意がない場合もある。

 

ネガティブな人と、ポジティブな人では、手に持っている花に向けて「綺麗ですね」と言ったとき、全然違う捉え方をする。

 

「私が綺麗じゃないからそんなこと言うんだ」と勝手に傷つく。

 

この場合もちろん相手に悪意はないのに、だ。

 

人間、捉え方次第で、どれだけでも嬉しくなれるし、どれだけでも落ち込める。

 

だから、自分が受け取る言葉は自分の中で、丁寧にポジティブに受け取ったほうがいい。

 

 

そういえば、俺は結構こういう相談を受けることが多いんだけど、よく言われるのが

 

「人に嫌われるのが怖くないんですか?」とか「人のことなんとも思わないの?」とかそんな感じだ。

 

確かに淡白といえば淡白なんだろうけど、もちろん人に嫌われたくて生きてるわけじゃないし、嫌われるのは嫌だし、怖い。

 

それを誤魔化せるようになったというだけ。

 

一年くらい前までは、誰かに嫌われることをとにかく恐れていたし、自分の意見なんてのもほとんど言えなかった。

 

自分がないし、自分のことも言えない。

 

自由に生きるということの意味が分からなかった。

 

でも「嫌われること」をそんなに怖がることではない、ということはわかった。

 

昔から、誰にも嫌われたくなくて、無難に生きていた。

 

だから自分の意見も言えなかったし、嫌われないようにするために生きてきた。

 

でも人間、そんなのは無理がある。

 

全ての人に好かれることなんて、本当に無理だ。

 

人間にはイレギュラー要素がある。

 

「皆に好かれてる人が嫌い」という人は一定数はいるから、絶対に全ての人に好かれるのは絶対的に不可能なのだ。

 

だからこういった相談にも、嫌われないように生きるのだけはやめよう、と伝える。

 

 

もっと上手くなります、と返事があったが、そこにも注意はしておいた。

 

その人のため、これからお店に来る人のために上手くなるのはいい。

 

最高の選択だ。

 

しかし「嫌われないように上手くなる」のは最低の選択だと思う。

 

自分がやりたいことは履き違えてはならない。

 

自分が、その道のプロになると決めた時から、すでに批判とは隣り合わせにある。

 

その批判を消すために上手くなるのでは、何を求めているのかちゃんちゃら分からない。

 

自分の「嫌われたくない」という承認欲求のために、技術を求めるのは不誠実にほかならない。

 

相手は批判だったのかも、本当に突き詰めてみないと分からない。

 

とにかく今の自分を知る機会としてはうってつけだったんじゃないか、ということを話した。

 

自分の軽く発した一言が誰かの自身をそぎ落とすことなんて、多々ある話だ。

 

だから自分の発言も気をつけて行っていかなければならない。

 

だが、そこで臆病になって何もできないというんなら、その夢はそこまでの夢だ。

 

自分と、自分の夢とか、やりたいことに対して誠実に生きようと思ったら、正直なところ人に嫌われることなんて、何も怖くないし、痛くも痒くもない。

 

人に嫌われるのが怖い時は、そこをしっかりと見据えていこう。

 

一度、立ち止まってみるのも大事だ。

 

俺も自分自身、これからしっかり生きていくために、自分を見返す機会としてとてもよかったと思える相談だった。