”力なき正義感”は、何も救えない。〜名もなきヒーロー〜

2016年、4月14日(16日)。

 

この日が何の日か、すぐに答えられる人はいるだろうか。

 

体験した自分でさえ、もう過去のことすぎて、すぐに答えれない気がする。

 

熊本地震

 

当時、俺は実家にいた。

 

部屋で酒を飲んでいたのだが、体験したことのない揺れで、すぐに現実に引き戻された。

 

震度6には達さないくらいだったと思う。

 

それでもものすごい揺れだった。

 

頻発する地震に、ネタでも何でもなく、あの頃の熊本人は震度を軽く計測できるようになってた。

 

それくらいの頻度での揺れだった。

 

熊本地震についての記録や記憶は、特に語ることでもない。

 

ただ、あの揺れはもう味わいたくないということ。

 

 

俺は地震から数カ月後、知人からの頼みで、避難所の受付をやることになった。

 

それは被災した人々が暮らす、体育館だった。

 

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ちなみにこれは、この避難所が閉まることになって、片付けの最中に撮った写メ。

 

二人で片付けた。

 

ここは俺にとって、思い出深い場所になった。

 

いろんな人がいた。

 

いろんな人に、いろんな悩みがあって、いろんな考えがあった。

 

そこに何が正しいとか、正義とかは感じなかった。

 

皆が皆、地震という恐怖に怯えていた。

 

それだけ。

 

俺は、この避難所を、奈良県の市役所の方々から引き継いだ。

 

それまでに沖縄や鹿児島の県職員さんたちから、引き継ぎで奈良県の方々が最後だったそうだ。

 

結局、ボランティアというくくりなわけで、他県の人たちがずっといるわけにはいかない。

 

地震の頻度も減ってきていたし、ちょうどいいタイミングってことで、うちらが委託を受けた。

 

特に奈良県の市役所の方々は、避難者さんたちに評判が良かった。

 

俺らはシフト制だったんだけど、ボランティアで他県から来てくれてた人たちは、飲食や就寝も避難者さんと同じタイミングで行う。

 

まさに体育館という家の中の、大家族だったわけだ。

 

俺は彼らのことを「名もなきヒーロー」と呼んでいる。

 

あの地震で、心に病をかかえる人も多かったようで、週に2〜3回くらい全国から集った医師さんたちもボランティアで来てくれてた。

 

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福岡の大学生の子たちが、各地の避難所を「ひまわりを置きませんか?」と聞いてまわってた。

 

そういう酔狂なやつは好きなんで、他の人の意見も聞かず、勝手に二つ返事で「もらいます」と告げた。

 

玄関に置いて、避難所の皆と一緒に水やったりしてた。

 

 

あの時、俺は思ったんだ。

 

今この熊本で、日本全部が繋がってるんだ、って。

 

日本の皆が熊本のために、全てを置いて助けてくれてる、って。

 

俺なんかがこんな場所で言っても、何にもならないけど、本当にありがたかった。

 

ありがとう。

 

写メは撮らなかったんだけど、全国から送られてくる物資の中に、手紙なんかも添えてあって(外に貼ってあったから、開いて読んだとかじゃないよ)

 

どっかの女子高生が自分のお金使って、離乳食とかを大量に買って送ってくれてたこととかを知ると、すごくじんわりした。

 

この子は女神かなんかなのかな、って。

 

ちなみに熊本地震の際、全国で募金を騙った詐欺があったり、

 

ライオンが逃亡した、みたいなネタをツイートして逮捕されたやつとかいたけど、

 

こういうやつらは、悪魔かなんかなのかなって。

 

人間と思いたくないよね。

 

でも、自分の中で”正しい”と思ってることが人を苦しめることがあるって、知ってるかい?

 

 

避難所の受付をやってるおっさんの中に、避難者のことを「乞食と思ってる」と直接言ってのける人もいた。

 

正直、正義の価値観なんかは人によって違うので、何も言わなかったが。

 

ちなみに客観的に見ると、腹は立つが、その人の考えや発言も何か分からんじゃないとも思う。

 

 

今はSNSなんかで、情報をすぐに得れるようになったよね。

 

特に地震なんて、すぐに皆反応するから、とても役に立つ。

 

でも、少し前に異様な流れを見た。

 

地震があって、その速報の動画をあげてる人が

「被災した人々に正確な情報を届けたいので、コメントは控えてください。」

って言ってたのよ。

 

なのに、とんでもない思考したバカどもが、

「何事もありませんように」とか「無事をお祈りします」

みたいなコメントを書き始めた。

 

いいか?

お前らのその感情が、”世界”や”人”を救うことは一切ないんだぞ。

 

むしろ、無神経なその祈りがコメントという形に出てしまって、

 

救うどころか、殺す可能性だってあるんだぞ。

 

被災した人にとって、情報が一番大事なんだよ。

 

バカの祈りなんて、何の足しにもならないんだよ。

 

祈るな、動け。

 

 

そして、その異様な状況にさらに拍車がかかる。

 

一見分かってる風のバカが「コメントは控えて」って湧き出した。

 

まあこれはある意味正しいことやってはいるんだけど、

 

結局、何の足しにもならない祈りと、何の足しにもならない注意、そして何の足しにもならない正義が増えに増え…

 

”正義”の名の下に、必要な情報が届けられない。

 

そんな状況に陥った。

 

本末転倒じゃないか。

 

こんなバカたちの、力なき正義感は何も救えないし、誰も救えないんだよ。

 

 

…だからって、何もしなくていいということではない。

 

考えろ、自分にできることが何なのかを。

 

祈るやつなんて言語道断だよ、自分はいい人アピールしたいだけ。

 

全然いい人じゃないし。

 

その気持ち自体は素晴らしいものだから、心の中に押し留めてろ。

 

外に出すな。

 

こういった場面は、地震以外にも転がってる。

 

自分がその時、何をしてもらえるのが一番なのか、相手の立場に立つ気持ちが大事。

 

俺自身も、こういう気持ちを忘れずにいたい。

 

熊本地震から学んだ、すべてを無駄にしないためにも。