映画「マスカレードホテル」を観た。(ネタバレ注意)
観た、と言っても、見入ってるわけではなく、作業の片手間に流してたって感じ。
今年で嵐が活休しちゃうから、嵐の番組つけてた流れで始まった。
1月3日からの三夜連続木村拓哉祭り。
東野圭吾原作の作品。
”ホテル側の正義”と”刑事側の正義”
この作品って、途中途中に正義の価値観や角度について問われることが多い。
ホテルのスタッフとして、潜入操作してる刑事のキムタク演じる新田が、ホテル側の仕事である接客を雑に考えている。
そこに長澤まさみ演じる山岸との考え方との違いで対立することが多い冒頭。
客、いや、”お客様”の理不尽なクレームにも不快にさせないようにするホテルマンとしての立ち振る舞いが刑事にはない。
確かにそういった仕事をしたことがないのであれば、客側の理不尽な要求には従いづらい。
それこそ、キムタク演じる新田に「いい大人なんだから」とか「ルールは守れ」
のような発言があるのだが、それこそ普通にこの日本を生きていたら思ってしまう。
しかしホテル側からすると、その日本や主人公の新田で言うところの「普通」は、全く通じない。
絶対に”お客様”に恥をかかせることがあってはいけないわけだ。
これはホテル側と刑事側(及び、一般常識人)との価値観や正義観の違いである。
一番最初から、この”それぞれの価値観や正義感に対しての違い”に物語の核心になるものがあった。
人間の命は平等か?
マンガや映画のカイジなんかではよく描かれるようなことだが、
今現在の日本において、いや、世界において
人の命は平等ではない。
これは間違いない。
金持ちの方があきらかに人としての価値があるし、何もできない人間には価値は薄い。
なのに、教育は「人は平等だ」と訴える。
出る杭を打とうとする日本の教育は、あからさまに嘘を教えている。
なにが言いたいかというと、このマスカレードホテルに登場する”お客様”のほとんどは富裕層。
一般常識から外れているのが当然である。
特にいきなり新田に「私は忙しいからチェックアウトを優先的にしろ」という客(演:笹野高史)は、こういうのをあからさまに明確にするために登場しているのだと思う。
「みんな順番を待っているのだから」と言う新田に客は激怒するのだが、
「お金持ちの人の時間」は家でダラダラ過ごしているやつの時間より確実に大事な時間なのは明白だ。
ホテル側の配慮としては、特別扱いをして、お客様の意見を通すこと。
”ここではお客様がルールを作る”という言葉は、なかなかに面白い言葉だと思った。
正義によって悪は生まれる
さて、あまりダラダラ物語外のことを言ったところで全然マスカレードしてない。(意味不)
この映画では、殺人事件の容疑者がホテルの中に潜んでいる可能性があるのだが
ホテル側からしたら、誰が悪人で誰が正しいのかって把握しようがないから、”ホテル側のマニュアルという正義”を貫くしかない。
長澤まさみ演じる山岸が「お客様を信じるのが正義」という立場で、キムタク演じる新田が「その客を疑うのが自分らの正義」という逆のスタイル。
さて唐突なネタバレだが、犯人(松たか子)が恨みを持っているのは、まさかの山岸。
まあ予想外の人が犯人で、予想外の人が標的と思っていて、何となく山岸なのかな、と思っていたのは当たった。
でも、その伏線回収はお見事としか言いようのない感じ。
しかも途中「何があっても他のお客様の部屋番号は教えちゃいけない」という絶対的なルールをミスってしまう山岸が、過去にそのルールを徹底して守ったことによって、恨まれる。
逆恨みだが、その犯人の置かれた状況は、まさに狂いそうになるようなものだったと思う。
名古屋の劇団内で恋仲になった相手の子供を孕ったが、その相手は若いということもあり、それなりに歳をとってしまってる犯人から逃亡するために上京。(韻踏んだ)
男に責任をとってもらうために、その男が泊まっているホテルを突き止めて会いにくるも、部屋は教えてもらえない。
そして宿泊も断られることに。
犯人は、男がそこに宿泊していることは知っていた、なのに男は「直前になってキャンセルした」と受付で嘘をつかれる。
だから犯人は夜、雨の中、1人で外で待った。
男が出てくるのを。
お腹にいる子供の責任をとってほしかった、そのために話に来ただけだったのだ。
朝方になり、男が外に出てきた。
声をかけようとしたところで、陣痛?のためか気を失い、目を覚ますと、そこは病院のベッドの上だった。
男の所在も、もうわからない。
あの時、部屋さえ教えてもらえてたら、せめて宿泊させてくれていたら…。
犯人の苦しみや、憎しみや、悲しみなんて、いったい誰に測れるんだろうか。
演じる人の凄さを改めて知る
この時の松たか子の演技はさすがすぎる。
映画「告白」とかから、やたらと重みをもった暗い女性を演じることがあるんだけど、すごいね、本当ゾッとする。
個人的には二階堂ふみも完全にヤバいけど、二階堂ふみはそこにちょっと「イカれてる」ニュアンスが入るから、静かな闇ってので言えば、もうまさに松たか子一択。
アナ雪の時なんて、もう微塵も感じさせない、静かすぎて深い真っ暗な闇。
俺の勝手な持論なんだけど、演じる人にはそれぞれに狂気ってのがあって、人は何となくその狂気に魅せられることがある。
特に最近で言えば、菅田将暉なんてそうだよね。
あの人の人気は、あの人が持ってる狂気みたいなのに感化できる人がすごく多くて、そこに惹かれるんだと思う。
たぶんカリスマ性ってのと似てるのかな。
ああいう狂気じみた役もやたらと似合うしね。
あと、俺実はキムタクを3mないくらいの距離で見たことあるんだけど、あの人のオーラ本当にヤバかった。笑
”奪われたから奪う”ってのは違う
さて、もっかい脱線した話を戻すね。
松たか子演じる犯人をホテルの受付で対応したのが山岸だったために、逆恨みのような形で襲われることに。
でも実際、ここに関しては善悪をホテル側が決めつけるわけにもいかないわけだからホテル側は悪くないわけだよね。
ただマニュアル通りに、すべてのお客様に平等にやった結果というかね。
だから、悪くなんてないんだと思うんだけど、全てに平等とか、全てに優しいなんてありえないでしょ?
俺は前から”空き缶拾いのボランティアが生む矛盾”について言ってるんだけど、そんな感じ。
空き缶拾いをボランティアでやって、清々しいとか街がキレイになるってのはいいこと。
ただ、その空き缶を拾って生活してるホームレス的な人たちにはよく思われないよね。
そういうこと。
”100人いて、100人全員が喜ぶ”なんてありえないんだ。
だから、そうなると”奪われたから奪う”ってのも、やっぱり違うよね。
すごく苦しい、そして、自分はもうどうなってもいいや、みたいな捨て身の人もいる。
だけど奪った側にも奪われた側にも、そういう都合を当てはめれないことはある。
冷静になれないこともあるだろう。
この映画の犯人で言えば「子供を一人殺されてしまった」ようなものなのだから。(ちなみに生みたかった、みたいな描写はなかった気がするが)
子供のときに見てた「火垂るの墓」で、親戚のおばさんがマジでクソとか思ってたら、あの人実はすごくいい人だったのがわかった感じに似てる。
子供から見ると、きっと”悪いことした人は全員悪”みたいなもんだろうからね。
でも大人になるにつれて分かる。
こういう”犯人が根本的な悪人”ということって、あんまりないんだよね。
連続ドラマなんかでは愉快犯みたいのもいるし、そういうバグみたいなやつは、ここでは取り扱えないけど、復讐する人の感情なんて理解しようがないんだ。
人の数だけ、その感情の起伏の数がある。
「復讐は何も生まない」、そうやって声を上げる人がいたら、思うんだ。
あなたが同じような立場だったら、あなたはどうする?って。
大事な人を奪われたとき、自分は冷静でいれるのだろうか。
自信なんてないなあ。
べた褒めしたけど
上記まで見るとすごくべた褒めしたように思う。
実際に面白い流れだし、いろんなお客様(しかも絶対に見たことある人ばかり)が出演してるから飽きない。
誰が犯人かわからないって前提がある中で、個性派の役者さんが個性的なお客様を演じる。
コイツ、、、一体何してくれるんだ?!なんて思って見てるだけでも目が離せない。(まあ俺はちょいちょいブログ書いてたけど)
だから見やすい映画、飽きない映画と言えば、かなりいい方に思う。
ただその一方で、少し置いてきぼりを食らうことがあって、その置いてけぼりもよくわからないまま終わるんだよね。
一番は、連続殺人犯がホテルの客に紛れ込んでるって話なんだけど、一連の事件の説明が少し追いづらい。
回想意識だからか暗くて何が起こってるかも分からない。
尺が長く使えないか、それとも観る人途中で気づいてしまうのを避けたためか、やたらと分かりにくかった。
あと、本当にこれは個人的な話なんだけど、犯人が救われないんだ。
救ってほしいは俺のエゴだ。
確かに1件の殺人と、殺人未遂をおこしてるわけで。
だけど、あまりにもその過去が重すぎて、全然救われない。
捕まった後とかも一回も出ないし、なんかもういろいろメンタル削ぎ落とされた。笑
とはいえ、本当にいい映画だし、これは原作も気になってきた。
本屋見てみるかな。
映画も借りてもっかい観てもいいレベル。
それくらいいい映画だった。