サプライズは”価値観”の押しつけ

つい先日、俺のYouTube活動の応援をしてくださっている人から、マイクをいただいた。

 

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高スペックな機材ではないみたいだが、見た目がめちゃくちゃ気に入ってるし、

これをぜひとも使いこなしたいものだ。

むしろ応援してることを形にしてくれる人が周りにいて、俺は本当に嬉しい。

 

さて、本題はそこではなくて、このマイクをくれた人が言ってたのだが、

 

「サプライズは嫌い」らしい。

 

いや、何言ってんだ、って感じではあるのだが、

 

実は何を隠そう、俺も「サプライズは嫌い」なのだ。

 

そこで、サプライズについていろいろ話してきた。

 

それを記事にしようと思う。

 

 

サプライズが前提になりつつある日本の文化

 

 いつからだか知らないが、

いい意味でビックリさせると喜び2倍

みたいな風潮になってない?

 

俺個人的な話からすると、いい意味でも人を騙してる感じがどうもダメなんだ。

 

今回、話をした人は

「サプライズした側が、された側に何かを期待してる感じ」

が嫌いらしい。

 

確かに、そこは俺も考えてた。

その期待とは、相手からの”いい反応”だったり、”いい見返り”だったり…。

もっとすごいサプライズとかしてくれるのかな、とか思ってたり。

 

というか何より、

された側が本当に嬉しいかどうか、なんて究極のところ分かるわけないんだから、

中途半端なことをしないでほしいということだった。

 

ちなみに俺がサプライズに嫌悪感を抱き始めたのは、

ネットでサプライズ告白をされた女性側が泣きだして、走り去った動画を観てからだ。

 

 

みんながみんな喜ぶわけじゃない

 

例えば居酒屋とかBARに行ってさ、

店側とサプライズする側が打ち合わせるじゃん。

 

俺はそのコソコソしてる感じがすごく嫌なんだけど、

絶対ケーキ持ってくるじゃん。

 

0時になった瞬間、ハッピーバースデイ(ドリカム)とか流しながら持ってくるじゃん。

 

誕生日にケーキ食べたいかとか、

パイ投げされたいかなんて、

その時の気分で変わるんだよ!って。

 

そもそも誕生日をケーキでお祝いするなんて、小学生か!

女子か!!

酒でいいんだよ!!

ウイスキーの業務用と、炭酸水数本くれたら俺は満足なんだよ!(これたぶん祝われなかったら拗ねるパターン)

 

まあ、俺は置いといてね。

 

その人が本当に喜べてないか分からない以上、

むやみにサプライズして

”相手の反応を楽しみにする”のは、した側のエゴなのね。

 

その時点で、もう見返りを求めてたりする。

世の中全部そうじゃないとも思うんだけど、こっちのが多い気がする。

 

 

その分の労力を何かに変換できなかったの?

 

こうは言ってるけど、その気持ち自体は嬉しいんだよ。

むしろその気持ちだけでもいいくらいだし。

くれるなら前もって言っといてほしい。

 

サプライズされた側が、周りに求められてる反応ができるかなんて、分からないじゃんか。

 

そのお店側へのサプライズ申請とか、

コソコソして水面下で何週間も計画をバレないように進行する…

響きはいいけど、その労力をもっと別のものに使えたと思うんだ。

 

今回の話をしてた人は

「3つくらい案出してもらって

『当日どれがくるか楽しみにしてて』」

って言う方が、よっぽどサプライズ。」

とか言ってた。

 

うん、これはマジでサプライズだと納得。

 

というか、この人は俺にサプライズをしておいて何を言ってるんだろう?

 

 

結構、大事なことに気づいてしまった

 

今回のまとめなんだけど、何回も言ってるように、その気持ち自体は本当に嬉しい。

 

だって、その人の貴重な時間を使って祝ってくれてるから。

 

でもこんな時代だからこそ、

サプライズを優先することが大事なのか

今一度考えてみてほしい。

 

もともとは「この人を祝いたい」という気持ちだったはずなんだ。

 

サプライズが絡むと、途端に期待してしまう気持ちが一ミリくらいは入る。

 

それは「純粋にお祝いしようとする気持ち」とは少しズレてやしないだろうか?

 

結局の所、

 

サプライズっていうのは、「サプライズした」という行動じゃないんだ。

 

サプライズを受け取った側が予測している”感情の昂り”をさらに超える気持ちがサプライズなんだ。

 

だから、サプライズという「言葉」に騙されてはいけない。

 

最初にサプライズと伝えたとしても相手の期待を遥かに超えたとしたら、

それはもう完璧に”サプライズ成功”なのだ。

 

自分の行うサプライズが、自分の欲のためになってはいないか?

渡す相手に期待をしてしまってたりしないか?

 

もう一度言うが、

大事なのは「サプライズをする」ことじゃないし、

それで自己満に浸るのは”サプライズ”ではない。

(相手の反応を見て、自分が喜ぶことはもう自己満。)

 

相手を喜ばせること、

意外なアプローチで相手の本当の喜びを引き出すこと。

 

それこそがサプライズなのだ。

 

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ちなみに、サプライズ嫌いと言ってたその人は、

俺が地味に欲しがっていたものをくれた。

 

MacBookの外に貼るシール。

 

この白雪姫がオシャンすぎて欲しかったのだ。

 

うーん、この人サプライズ上手すぎないか?

 

俺の考えてることの50歩は先に行かれたぞ。

 

嫌いだからこそ、気をつけたりしたのだろうか?

 

ちなみに「コレが欲しい」とか全然言ったわけじゃなくて、たまたまくれた。

 

それが、結果的にサプライズになったのだ。

 

本人からしたらサプライズでも何でもないことが、

相手にとってはサプライズになったりするのだ。