「価値」のある人

 

今の俺にはどれほどの価値があるだろうか。

 

もっとすごい人間になりたい、もっと素晴らしい人間になりたい

 

もっと目立ちたい、もっとすごいと思われたい

 

そんな漠然とした想いを胸に生きてきた。

 

つまり根本には「今の自分を変えたい」という気持ちがいつもあった。

 

そういうことを周りに言うと

 

「そのままのあなたで大丈夫」

 

とか、何かの本に影響を受けたような言葉を投げかけられることがあった。

 

それ以外はだいたい流すような返事。

 

流すとか、興味ないのはいいと思う。

 

人間は基本的に他人に興味がないのは分かるから。

 

でも、「そのままのあなたで大丈夫」とか

「そのままのあなたがいい」なんて、本人でもない人に何が分かるの?って思ってた。

 

その人なりの親切なのかもしれない、

 

そういうことを言う方が誰かを救えるのかもしれない。

 

でも、変わりたいと思ってる人に投げかける言葉ではないと思うんだ。

 

本人が今のままじゃ嫌だって言ってるじゃん、って。

 

無責任に土足で人の心に踏み入っていいものじゃない

 

 

だけど、そこで何も行動しないで「周りが勝手に変わってくれる」とか、

 

「時代が悪い」「環境が悪い」とか言うやつ、諦めるやつは結局、土足で踏み荒らされても仕方ない。

 

そういうやつが一番ダメだしね。

 

一番の問題は、その価値が自分にあるか、ってこと。

 

残念ながら、俺たちが学校教育で学んできた「人類平等」はウソだ。

 

偉い人の時間には価値があるし、売れないYOUTUBERにそこまで価値はない。

 

命の重さも全然同じじゃない。

 

綺麗事を教えられ、それに洗脳されてる人が多い。

 

学校教育は嘘を教えてるわけだ。

 

問題なく今までのように日本がスムーズに回る人間を作るための養成所。

 

カイジなんか読んでたら、そういう言葉が刺さるよね。

 

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あ、そういう暗い話をしたいわけじゃないんだ。

 

要は、価値のある人間になればいい、ということ。

 

その方法は人によって違うから、一概に言えないし、俺も模索しているところではある。

 

そもそも友人関係においても、自分にとって価値がある人じゃないと時間作って遊んだりはしないよね。

(これだと言い方が悪いけど、一緒にいて楽しいと思う人にはそれなりの価値があるということ)

 

そういう”価値”というものを相手に求めていて、相手がその価値があるから仲良くしたいと思うわけだ。

 

 

話は変わるんだけど、これが今回の記事で書きたかったこと。

 

先日、俺をいつも応援してくれている人にiTunesカードを貰った。

 

まさかの高額だった。

 

自分じゃ買えないし、買ったことない。

 

でも、あると本当に助かるし、活動の幅も広がる。

 

しかもその包装があまりにも凝っていて、

普通にそういうラッピングがあるのかと思ったら、手作りだった。

 

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それを見たときに考えた。

 

俺のために自分の貴重な時間を使って、包装をしてくれた。

 

俺のために自分の貴重なお金を使って、プレゼントしてくれた。

 

その思いの伝え方は様々だろうけど、誰だって嫌なやつには時間を1分も使いたくないし、お金も1円も使いたくない。

 

そんなふうに応援してもらえてるのをしっかりと理解して受け取ったとき、

 

胸の奥がじんわりきて、思わず泣きそうになった。

 

誰かのためにって気持ちは、そこにどんな背景や感情があろうと、とても美しい。

 

この世はきっと、そういう気持ちで回っていったほうが素敵なはずだ。

 

綺麗事は必要ない、

結果的に綺麗になれば、道中汚れていても気にならない。

 

それだけの価値を今、俺は生み出せてるか?

 

まだまだ足りないから、応援してくれるみんなに恩返しができるように、

 

今はもがいてでも、足掻いてでも前に進め、俺。