俺の人生を大きく変えた名作「ちょっと今から仕事辞めてくる」を改めて観てみた(ネタバレ注意)

この映画は公開されて三日後に観に行った。

その時は夜職をやってて、お客さんの食事に付き合ったあと、ブラブラしてる時に映画館の前を通って「気になってるから観たい」と提案したらお客さんもノリノリだったから勢いに任せて観た。

そもそも当時はあまり福士蒼汰が好きじゃなくて、工藤阿須加もそんなに知らなかった。

ただなぜこの映画が気になっていたのかというと、やはりタイトルだ。

この時、俺は仕事を辞めたくて仕方なかった。

しかし仕事を辞めることを、どの仕事でも言えない俺は、いつも辞めようと考えると病む。

このタイトルを見て「そんな軽いノリで辞めるんだ」みたいな感じだったと思う。

実際内容はそんな軽いノリで辞めるものじゃないんだけど。

 

一言で言うと、映画館で泣いた。

隣に座ってたお客さんは泣かなかった。というか笑われた。

でもあの時悩んでいた俺は、大きく人生が変わったと思った。

人生というより、生き方。

そしてその思考を変えようと思った。

「生きるために働く」とか「働くために生きる」じゃなくて、「自分のため」に働きたいと思った。

 

冒頭から、ブラック会社の全貌のような、絵に書いたような会社が出てくる。

上司役は吉田鋼太郎

この人の演技がまた怪演すぎて、別の意味で涙を誘う。

普通に怖すぎるからだ。

 

ラジオ体操させたり、社訓を大声で復唱させる文化とかは、まだブラック会社に残っていると聞く。

あと、人格否定とか。

これはまあ簡単に言うと洗脳みたいな。

自分で判断するという選択肢を潰すとかの感じか。

自尊心を無くさせて、上の言いなりになるマシーン製造してるようなもん。

 

ブラックじゃないとは言え、復唱させたりするお店が多いってのは今までたくさんバイトしてきたから分かる。

でも、あれも結局はその思考を植え付けて、「個人」じゃなく「お店」というものを優先させるもの。

悪く言うのであれば個人を社会とか会社の歯車化を行ってる。

もちろん、上でも言った通り、それを行う会社がすべてブラックとは言えない。

しかし、それにどうしても合わない人間というのは一定数いるわけだ。

まさにそれが俺なんだけど。

 

悪く言わないのであれば、それに適応できる人でさえあれば働きやすいし、その選択も個人の自由なところではある。

しかし、やはり日本の社会は仕事というものに頭が埋め尽くされているし、仕事のために人生を作り上げてきたようなものだ。

それを悪いこととは言わない。

ただ、人格否定や個人を尊重してくれないような職場からは正直早く離脱したほうがいい。

 

この映画からは本当に大きなものを学べたと思う。

仕事、生き方というものへの概念、家族の大事さ、友達の大事さ。

大事なものが詰まりに詰まっている作品と言える。

 

残業終わりに「生きること」を放棄しようと考えたたタカシは、駅の線路に落下しかける。

間一髪で、小学生時代の同級生のヤマモトと名乗る男に救われて混乱するが、飲みに行こうと提案され居酒屋へ。

内容もう知ってたから、特筆することはないと思ってたけど、この居酒屋のシーンがすごく好き。

何で助けようとしたのか、ってのも後半分かるけど、居酒屋で仲良く昔話してるところとかすごく震える。まあそれもヤマモトの嘘なんだけど。

 

休みの日に外に連れ出されて、スーパーのワゴンで坂道を下るシーンなんて、子供の頃にやったいたずらと楽しさの延長戦にあるようなやつで、そこもすごくいい。

子供の頃は善悪とか、何が悪いことなのかの区別もないから、平気で怒られるようなことやっちゃうんだけど、大人になるにつれて「これは怒られる」と思ってしまうといたずら心や好奇心はだんだんと息を潜めていく。

大の大人が子供に戻ったら怒られるシーンという感じなんだけど、子供の頃の気持ちって忘れちゃうんだな、と思わされる。

 

その後しばらくして、ヤマモトが同級生じゃないと知ったタカシは、何か騙されてるんじゃないかと疑って怒るんだけど(実際に本名も知らなかったわけだし)、そこでヤマモトが

「始まりは勘違いだったけど友達になれた。もしも同級生じゃなかったら俺とは友達になれなかったか?」

と聞くんだけど、確かに子供の頃って、どこか外に遊びに行けば誰彼構わず好奇心のままに質問したりして、友達になってたはずなんだけど、大人になるにつれてそれを忘れていく。

忘れる、というよりは臆病になってしまって、それに慣れてしまう。

「知らない人にはついていかない」というような言葉は、子供を守るためには必要なことだが、それを愚直に守り続けてきた場合、警戒心まみれになるのかもしれない。(実際に世間が昔より物騒になったのも原因なんだろうけど。)

 

生まれつき「人見知り」だったわけじゃない。

ある一定の時期に「私は人見知りだ」と言い始めて、自分の限界を定めてしまう。

それから、他人は他人に興味を抱かなくなっていく。

だからこの映画で、誰にでもフレンドリーに接することができるヤマモトという人間像は、ある意味俺の理想である。

 

ヤマモトのおかげで、いい感じに吹っ切れたタカシは仕事で成功…というわけにもいかず、上司に罵られ、土下座までさせられてしまう。

それで結構病んでしまう真面目さが、冒頭で彼を死に追い込もうとしたものだ。

仕事のミスで上司に罵られて、病んでいる時にたまたまヤマモトに会って飲みに誘われて「飲みたくないし、飲んじゃいけない気もする」と返事をするが、結局ヤマモトはビールを二つ注文する。

常識に縛られていないからこそできることなのだが、飲んじゃいけないと誰が決めたのだろうか。

勝手に自分がそんなときは飲んじゃいけない、飲まないほうが真面目と思っただけなんじゃないか。

そして、世の中はそれで回っている。

周りの考えた常識に縛られている。

誰が作ったか分からない常識に。

 

一緒にサッカーしてるシーンもなかなか印象的で、自由人のヤマモトに対して「仕事を辞めることは大変なんだよ」とタカシは言う。

「せっかく正社員になったんだから」「次が見つかるなんか分からないから」とそれっぽい理由をつけて。

しかしヤマモトは「正社員がなんでいいの?」「仕事を辞めることに比べたら何の方が簡単なの?」「死ぬことの方が簡単か?」と返す。

これは俺が前から主張してるようなことなんだけど、元を辿ればこの映画のこのシーンから来てるのかもしれない。

サッカーでも移籍した途端に活躍する選手なんてたくさんいるし、監督とかチームメイトとの相性とかもある、とヤマモトは言うが、これは自分の輝ける場所は他にもたくさんあるはずだというメッセージのように思う。

だからそこに固執して悩んでる場合じゃない、と。

この時タカシには全然届かないんだけど、これがまさに日本人の思考を体現してるキャラだから仕方ない。

 

タカシは仕事で嵌められてて、それで上司にまた大目玉をくらい完全に死を決意する。

飛び降りという方法で。

この時に間一髪ヤマモトが助けに来て「何でここが分かったんだ?」と不思議そうにタカシが聞くが、ラストらへんでその理由がわかったときが個人的に一番泣ける。

それは置いといて、飛び降りようとしてるタカシに「人生は誰のためにあると思う?」と聞く。

自分のため…と返事をするタカシに「それだけじゃない、自分を大切に思ってる人のため」と返す。

この時のやりとりで、タカシは久しぶりに実家に久しぶりに一度帰郷するんだけど、そこからの家族のやりとりがまたいい内容。

 

「仕事を辞めたいって言ったらどう思う?」と親に聞いて、怒られると思っていたら親が理解者だったことを知る。

 

会社は世界にひとつじゃないんだから。

若いんだから、今のうちにいくらでも失敗すればいい。

人生、生きてさえいたら案外何とかなる。

こう言った両親だったが、そのあとに父親が「お母さんはどうでもいい用事考えてお前の声聞こうとしてるんだぞ」って言った時に、もう涙腺崩壊。

むしろこれを書きながら思い出して、また涙腺崩壊。

親って何だかんだ、子供のことを心配してくれてる。

それはきっと血のつながり、なんて簡単な言葉じゃ表せないところで繋がってるからだと思う。

 

今までのこと、全部当たり前だと思ってた。

これはタカシが言った言葉だが、確かに今ある人生や恩恵を当たり前だと人は思い込んでいる。

思い込むというより、そういうふうに受け取ってしまう。

だけど、周りが自分のためにどれだけ想ってくれているのかを、もっと理解しないといけない。

決意が決まったタカシは朝からヤマモトを呼び出して「ちょっと今から仕事辞めてくる」と宣言して上司に辞めることを伝えに行く。

ここでの上司の暴言も、結構えげつない。

吉田鋼太郎の怪演がここでもヤバいが、こっち側としてもだいぶ清々しくなってるから、気持ちよく見れる。

 

最近の若いやつはすぐ諦める、何をやってもどこに行っても続かない、全部放り出して逃げるだけ、甘いんだよ

お前みたいな奴に次の仕事が簡単に見つかると思ったら大間違いだ

なんて罵詈雑言のオンパレード。

でも開き直ってる人間は強いから「簡単じゃなくてもいいんです」って返す。

「自分に素直に生きていきたい」という、その決意のままそこに来てるんだから強い。

自分が何をやりたいか分からないまま仕事を選んだ、というセリフがあったけど、高校を卒業する18歳の段階で進路を決めさせようとする日本人の思考って昔から本当によく分からない。

 

そもそも日本人は相手の期待に答えようとしすぎなのかもしれない。

一回YESと答えたら相手もつけ上がって、何回も同じようなこと頼んでくるような社会だ。

そのせいで、自分が病んで苦しんでたら本当にしょうもない。

そのせいで、命を絶とうとしてたなら本当にどうかしてる。

特にブラック会社ってのは人の優しさにつけこんでくる。

それに搾取されているのが、弱者。

弱者であることを認めないことが、まさに思考停止である。(就職してるから周りから馬鹿にされないですむ、みたいな一種の逃げ)

堀江貴文は「ブラック企業がなくならないのは、そこを皆が辞めようとしないから」と言っていた。

皆が辞めたら会社が回らなくなるから時給を増やすか、何らかの対策をとらなきゃいけないのに辞めないでいるから賃金も低いまま。

それで文句を言う方もナンセンスだ。

 

綺麗事で生きていけない、そんなことを俺も思っていたが別の考え方も何となく出てきた。

これは綺麗事で生きていけないという現実ではなく、生きていくのに綺麗事はいらない、ということなのかもしれない。

どのみち生きていけるのだから、綺麗事ではなく全て現実なのだ。

 

自分の生き方の路線や、夢なんかって出会った人に触れて、感動したり、衝撃を受けたりして出来上がっていく。

自分の道を、自分だけで分かったようなつもりになっていると、やりたくない仕事に繋がるのかもしれない。

俺は今まで仕事を接客業ばかりで選んできたけど、まさにそれだ。

勝手に接客業が好きと思い込んでいただけで、実際はもっと深掘りしてみるべきだった。

働くについて、考えずにいることこそがこれからの時代遅れをとっていく。

もっと自分のことを知って、当たり前と思っていることこそ、大事にしなきゃいけない。

 

この映画のヤマモトのようになりたい。

まさに彼は誰かにとってのヒーローだった。

もっと清々しく笑っていけるようになりたい。

 

考えさせられることの多い映画で、特につまらない部分もないはず。

人間の自由さに気づかせてくれる、素晴らしい映画だった。