再起の誓い〜半部捨テルということ〜

 

ここ最近仲良くしている人たちは、仲間を呼ぶときに、それぞれの呼び方をしている。

 

それは、その人の指針や、方向性、キャラだったり、影響を受けたものの違いなのかもしれない。

 

俺が船長と呼び慕う人は「仲間」と俺らのことを呼ぶ。

 

また、最近特に一緒に行動することが多い友も「盟友」と呼ぶ。

 

ここのくくりなんて、本当に人それぞれなので、自分の中で最高に位置する呼び方を使えばいい。

 

 

ところが、俺は何となくで「仲間」と呼んでいた。

 

きっと彼らの呼ぶ時の「仲間」や「盟友」への想いとは全然違っていて、何となくでしかなかった。

 

その熱意や、一種の押しつけにも似たような心地よさを、俺は知らなかった。

 

上で書いた船長の言う「仲間」とは似て非なるものだ。

 

言葉には魂が宿る。

 

 

今年が始まって、半年。

 

令和が始まって一ヶ月半。

 

俺は一体何をしてきたのだろう。

 

ついこの前まで、俺は宙ぶらりんで、からっぽだった。

 

自分の未来も、不確かで、それをたぐり寄せる術を探していた。

 

それがずっと自分のやりたいことを霞ませていた。

 

「何がやりたいのか探す」

 

それは都合のいい言い訳のようで、俺は自分を追い込んでいた。

 

そんな2019年が過ぎた。

 

 

もっと卑しい言葉で取り繕うと、俺は他人任せだった。

 

「何がやりたいのか探してる」

 

そう言う度に誰かの答えを待っていた。

 

そんな考えだったから、俺には何もなかった。

 

いろんなことを必死で考えた、考えたふりだった。

 

結局は未来なんて見てなくて、仲間の語る夢に難癖をつけたり、背中を押しただけ。

 

 

俺にはやりたいことが分からなかった。

 

子供の頃から何かをしようとする度に親に止められた。

 

それは親にとっての優しさで、無知な俺に現実を教えたかっただけかもしれない。

 

だが、それは俺の命を強く守ってくれると同時に、俺を夢から大きく遠ざけた。

 

でもそれが事実でも親のせいにしても何も変わらない。

 

親の呪縛から解き放たれるのは、今しかない。

 

 

先日、仲間に連れて行ってもらったライブで、仲間の同級生を含む三組のミュージシャンの演奏を観て、聴いた。

 

俺も元々音楽をやっていたからってのもあって、そういうイベントはずっとすごくひねくれた目で見ていた。

 

何でかって、音楽を楽しそうに演奏するとか、音楽について話す人が妬ましかったから、だと思う。

 

俺は5年前に、自分の音楽を作ることを辞めていたから。

 

でも、その5年前に考えていたことを、ふと思い出した。

 

なぜ、「自分の音楽を手放したか」ということで言えば、一度切り離すことによって、

自分に新しいものを取り込みたかった。

 

俺は自分の音楽のために音楽を、自分を作り上げてきたものを半分捨てた。

 

その選択自体は間違っていないと、今も思う。

 

 

ただ、そこからの選択は、きっと間違っていた。

 

俺は半分捨てたつもりだったものを、9割くらい捨てていた。

 

音楽をやっている人をどこかで笑っていた。

 

その結果、取り戻すつもりだったものを忘れていたんだ。

 

頭の奥のもっと奥の方に「音楽でなんか成功できるわけがない」という、小さな概念が芽を出していた。

 

 

人は、生まれながらに「できない」と決まっているわけじゃない。

 

自分が生きてくる中で、限界を決めたり、折り合いをつけているだけだ。

 

こと、音楽に関しては、俺も完全にそう思っていた。

 

音楽をやった期間が長いのに、結果が出なかったのは自分のやり方のミスを認めなかっただけだ。(一度それなりに結果は出たけど、サポートだったから自分の音楽じゃない)

 

先日の三組のライブを直接感じて、俺は自分の決めていた限界に、疑問を抱き始めた。

 

俺は、音楽が好きだ。

 

その気持ちを誤魔化して生きてきた。

 

音楽はもうやらない、なんて思っていた。

 

音楽は俺がやっちゃいけないことだと思っていた。

 

そんなところに仲間という名の大砲が風穴を開けてくれたわけだ。

 

今まで心を侵食していた、とんでもなく分厚く、とんでもない闇を吹き飛ばしてくれた。

 

見えていなかっただけ、ずっと近くにあったんだ。

 

ずっと音楽は俺のそばにいてくれたんだ。

 

 

今、闇に光が差し込んでいる。

 

そして、そこに浮かぶ二つのシルエット。

 

その背中は何よりも頼もしい。

 

仲間にもらった再起の力。

 

再起の誓いをここに立てる。

 

もう道をぶらさない。

 

仲間が指針になってくれる。

 

まるで宝の地図だな。

 

ありがとう、改めて素敵な仲間だと感じている。

 

俺もそういうので冒頭に書いたような、仲間の呼び方を考えようかな。