僕らには”共通の敵”がいた

まだ青かったあの頃、僕らはたしかに一緒にいた。

 

流れる時のスピードも、目まぐるしく回る現実も残酷で、

 

「これからもずっと一緒だ」なんて、心のどこかで思っていた記憶すら今では薄まっている。

 

 

空を見上げ、まるで漫画やドラマの主人公を気取る。

 

そこには何もない。

 

ただの「カッコつけ」だ。

 

中学の時にそう言って笑っていた友は、今何をしているだろうか。

 

 

今思う、あの頃僕らには”共通の敵”がいたんだ。

 

わかるかい?

 

その敵は、校則厳守みたいな自分だけの正義を押し付ける人だったり、

 

案外ゆるい人だったりとか、全てに優しい人とか、いろんなタイプがいた。

 

 

そう、”先生”だ。

 

あの頃、僕らは一緒になってどこかで抵抗していた。

 

僕らの小さな町の、小さな学校の、小さな戦争。

 

僕たちはどこまでいっても仲間だった。

 

だから仲良くなれたし、仲良くいれた。

 

時は流れ、”敵”はいなくなった。

 

厳密に言うと、”敵”じゃなくなった。

 

それからバイトを始めた。

 

バイト先には新しい敵である、頑固者の店長がいた。

 

こっちの意見なんて聞いてくれないし、手柄は独り占め。

 

だから、きっとバイト仲間と仲良くなった。

 

そこには新しい”共通の敵”がいたんだ。

 

バイトを辞めた。

 

しばらくはバイト仲間と遊んでいたが、だんだん会わなくなった。

 

次の新しい職場では、また新しい出会いがあった。

 

そこには”共通の敵”もいたし、友だちもできた。

 

だけど、”共通の敵”を失えば、共闘することはなかった。

 

思い返せば、いつも僕らには”共通の敵”がいたんだ。

 

それは上に書いた職場の上司や、先生じゃない場合もある。

 

ムカつく先輩もそうだし、親だってそう。

 

それは時間や角度や生き方で変わった。

 

きっと、どこかで「反抗したい」という気持ちに同調してくれた人が、友だった。

 

あの頃「こいつらとは一生一緒に遊べる!」なんて思ってたのはさ、

 

きっと”共通の敵”のおかげでもあったんだ。

 

だから、ありがとう。

 

大切な時間を生きさせてくれた、そんな”敵”と呼んでしまった大切な人たち。

 

あなたたちも僕を作った、かけがえのない要素だ。

 

 

 

あの頃みたいに、何でもないことにツボって爆笑することも減ったし、些細なことで落ち込むことも減った。

 

喧嘩したり、裏切られたり、仲直りしたり、恋愛したり、いろんな人間関係を生きてきた。

 

俗に言う大人になった。

 

あの頃は、早く大人になりたいと思っていたけど、いつの間にか子どもに戻りたいと思うようになった。

 

その「時」というものに流されて、いつの間にか連絡を取らなくなった友だちがたくさんいる。

 

大人になって、みんな結婚して、子どもができて、だんだんと疎遠になった友だちがいる。

 

みんな、元気にしてるか?

 

あの頃のように心から笑っているか?

 

俺は現状、結婚もしてないし、子どももいない。

 

だから、みんなとかぶるような「悩み」という”敵”が作れない。

 

それでも、今でも友と呼んでくれるかな。

 

また会ったら、あの頃みたいに笑いあってくれるかな。

 

 

”共通の敵”なんていなくても、仲良くいれるのが、きっと心で繋がっている友なんだろう。

 

それは幼き頃から続く仲でもそうだ。

 

”共通の敵”がいなくなっても仲が良いままなんて、なんて素晴らしいんだろう。

 

今、そんな敵だとかなんだのしがらみとは無縁だ。

 

無縁だけど、横を見ると、仲間がいるんだ。

 

付き合いの長さは、あの頃から続く友たちより短いんだけど、

 

俺はこの仲間たちと前に進みたい。

 

共通の敵なんかいなくても、目指すべき未来の方向はきっと、この仲間たちが向かう先と同じ方向だから。

 

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